"無理"をどう捉えるかは色々と分かれ目になるんだなぁ、それと無理と限界の違いについて
"無理"を「そこまではなんとかしてみる」、「そこを越えることが大事(あるいはそう当たり前のように要求される)」と捉えるのか。
或いは、「無理ってのはそこまでは行っては行けないラインなのでその手前で『あ、それは無理っすね』と線引きする指標だし。」と捉えるのか。
前者みたいな感じでやってた人で、潰れて病院通いの毎日とか鬱になったとか、これからそうなりそうな早死予備軍な会社の後輩とか見たり聞いたりしてるとどう考えても違うよな〜って思うわけ。
「あの頃はボロボロになるまでやったわガハハ。それに引き換え最近のサラリーマンは・・・」っていう人とかそういう文章を見かけることもたまにあるが、そういうこと言ってる人達とか得たポジションがそもそもに生存者バイアスかかりまくりだろうって冷静に考えたら察することのできる話だと思うんだけど違うのかね。
って思う僕なので、常に後者のスタンスである。
仕事でなんか色々依頼が来ても「それやって欲しけりゃ〜日間頂戴、待てないなら諦めるか他を当たってねん♪」ってのらりくらりすることにしている。この場合は仕事だが、だって仕事だったら通勤時間あわせて1日10〜12時間×5日以上は1週間に働きたくないし、理想はこれを4日間にすることである。所属会社がどんなに意識高いビジョン()を持っててもこちらにとっては日銭稼ぎの場ですからね。
そういえば最近自転車のトレーニングはもっぱらZwift先生に頼りっきり。メニューはだいたいSSTのショートとかミディアム、間の日にFTP15分2セットとか。このSSTっていうのが、自分の限界の出力の8〜90%で回し続けるトレーニングとのこと。そして自分の最大出力を上げるにはとても効果が高いとか。「もう無理」ってラインを高くしていくためには、その手前を出し続ける事が大事のようですな。良くわからんでやってるけどw
「もう無理」の基準を上げるために、「もう無理」っていうことをやり続けるのは別に正解ではないと勝手に解釈している。もちろん、インターバルトレーニングで、オーバーヒートする領域を出すっていうこともせなあかんけど。でもこれは、目的がベースアップではないので別の話。血ヘドを吐いたらここまでいけるっていうのと、普通にこれくらいやれるっていう数値の高低は別に考えないといけない。
無理をすることが限界を越えることにも、限界ラインを上げることにも繋がらない。
手を抜くわけでもなく、「まだいけるな」って思えるくらいを続けられる状況を作る、そういう状況にする努力は結構大事だと思う。あとは、無理に近づきそうな時に、無理に到達する前に「あ、無理っす。」と退避できる胆力か何かを持っておくことだろうか。