変わらず変わり続けられていることの幸せ
気まぐれに書いたり書かなかったり書き続けたり書かなくなったり、そんな使い方をしている当ブログ。
ネットに溢れる駄文のワンオブゼムであり、特に明確に何か目的と指標を決めてやっているわけではない。
というわけで随分と久しぶりにアクセスした。
2020年は世の中的にはコロナで、自分もまぁ影響は受けたといえば受けたなって感じか。生命や寝食脅かされる事態にはなっていないので、それは幸運なことだし、だからこそ別に大きな影響を受けたという気は無い。
ただ、人生折返し手前程度の時間を生きてきて、震災だのテロだのに加えて疫病やらまさにザ・失政というようなものにまで遭遇して、たかが一個体の一瞬の生命存続の時間内で歴史の教科書に載るような事象にこれくらいの頻度では出くわすものなのだなという感想。
Facebook見てると(Facebookなんか見てるからなのだが)、まぁそれなりの上流階級で本人のスペックも高く仕事をして生活をしてるような人たちがこぞって「コロナで価値観が変わり云々」て書いていて。
「すいません、僕コロナで別に価値観の変化なんか起きてないんです」って棒読みな感想が出てきた。
僕は傲慢な人間なので変わるならそれは己の意思によって変わるのみであると考えつつ、計画的偶発性理論をベースに生きている人間なので変わるならそれはそういうことだしってドライに捉えている。
コロナがあろうとなかろうと、変わるものは変わり、変わらないものは変わっていない。状況が変わることでしかし自身がそこまで変わるか?と言われたら変わっておらず、変わってたとしてもそれは「あー、世の中(ないし自分の状況が)こうなってるんだー。じゃあこうしよ」って特に先を見据えもせず息を吐くように適応し、高速の車線変更ほどにも深く考えずに1本の軌跡を辿らずにいる。
今のところはそれで死なずにこれてるし、これからもそうあるかもしれない。
ダメかもしれない。
今はそう、これくらいの温度感でいつも通り変わりつつ死なずに生きてこれてることの幸せを噛み締めている(おおげさ)
とりあえず今更、自転車については練習日記を手書きで紙に残すようにした。
いつまで続くのやら、どんな変化に続くのやら。