根無し草の独り身だけど、ちょっと真面目に(10秒くらい)育児について考えてみた
自分くらいの年齢になると、結婚している人間も子育てしている人間もそれなりの数周りにいて、色々話は聞かされる。幸いなのは、「お前もいい加減・・・」みたいな事を言う人間はいないので(いても多分無意識に人間関係切っている)、根無し草にフラフラ生きている自分も楽しく彼らの話を聞いている。
今日は友達の家にお呼ばれして遊びに行きつつ、5歳になった友達の子供と半日遊んでいた。
この子は生まれた時から年1〜2回は遊んでいたのだが、5歳ともなると語彙は増えて伝えてくる話の内容が多岐にわたってくるし、飛びついてこられたり抱っことか高い高いをせがまれると、もっと小さい時ほど軽々とはいかなくなる。
半日遊んだらあまり味わったことのない疲労を感じた。
なんだろう、多分向こうの子の「遊んで!!」に本気で応えて相手をしようとしたり、気を使ったりしていたのかな。そこら辺親だったら「はいはい」でスルーしたりとかっていうのもできるんだろうけれど。小さい時に例えば近所の自分よりも小さい子の面倒を見る、というか遊んだりっていうのをしていた経験はあったが、あれは子供が子供と遊ぶ感覚だったので、今の感じ方や考え方は異なっているのだろうなと思う。
で、例えば専業主婦で子供の面倒を見続けるって相当ヘビーなんだろうなっていうのを、世の中の声とかではなく体験から想像し得るイメージで抱いた。「そんなの当たり前だし、前々から言われてることじゃね?」と突っ込む人もいるかもしれないが、自身の体験からの想像と思考っていうのに意義があるのだ。
自分の彼女も言っていたんだけど、子供を産んだら"〜さん"ではなく"〜ちゃんのお母さん"としか見られないのは凄く嫌だと。でも世間的には当たり前のようにそういう風潮が広がっていて、実際に育休中だったり専業主婦だったりしたら、例え自分の子供であったとしてもソロプレイで意思疎通をはかるのが難しい相手と毎日向き合わなければいけないのだ。
これって、どう考えてもキツイだろって思う。
時を同じくして「俺は仕事して疲れてんだ文句あるんかゴルァ!!」な育児と家事放棄男と離婚したがってる昔の同級生の話を聞いて、よりそう強く思う。
保育園の数がどうとかいろいろ社会的なハードの話は耳にするけれど、あるいは耳にしやすいけれど、なんかもっと抉らなきゃいけない所って多岐にわたって根深いものがあるんじゃなかろうか。
- 作者: スーザン・フォワード,玉置悟
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