funny rain, sweet breathing

知ってるか?世の中って思った通りにしかならないんだぜ?

奪い返す

愚痴。

なぜ自転車にそんな乗るのか?と聞かれたら(ガチ勢ほど乗れてないが)、「そうせずにはいられないから」と答える事にしたと書いた。

anaaki-gratin.hateblo.jp

もっと深掘りしてみた。今の自分はプログラミングと自転車に熱を上げている・・・というか執着している。なのでこの2つ。

結局自分は"奪い返す"ためにやってるんだなと遠目に見たら見えるなと。それが奪い返せるものかどうかはさておき。

自転車は子供の頃いろんな理由を付けては禁止されていた。でも自転車に乗るのはずっと好きだったと思う。小さい頃のことで覚えているのは自転車に乗っている時とても楽しかったってのが多い。それこそ5歳くらいの時に補助輪が付けられるような子供の自転車に乗っている時から。

小学校の頃、マウンテンバイクが流行って、自分も欲しかった。で、成績如何では買ってやると言われたのでその条件をクリアした。そしたら買ったけど乗ることを許可しないという仕打ちを受けた。何かと理由を付けて。やれ成績が落ちただの態度が悪いだの。乗ってもいいが町内(家から半径100m程度だろう)のみとかも言われたな。家の前の道、新興住宅地内の変哲もない1車線道路まっすぐ進んだら1〜2分で終わり。それすら数ヶ月に1度だったか、許されたのは。

その後も「お前はすぐ事故るから駄目」みたいなのを育てた人間にも言われたし、そういえば結婚する前に通勤で自転車が欲しくてロードとか乗ってみようかなと言ったら同じような言われ方でやめとけと言われた。被害者意識全開で言えば、そうやってチャンスを奪われ続けていた。当時からガチにはまれていたら今自分が強くてなれていただろうとかは思わないが、今ほど不必要に何かを犠牲にしてまでののめり方よりもナチュラルに続けられていたんじゃないかとは思わなくもない。

ま、そんな話はすべてWhat ifなんですが。

ただ、「そうやって奪われてきたものを奪い返す」という感情だけは今に至るまで決して消えることはないし、それ故に空回りするレベルに熱中ではなく執着している。

そしてプログラミング。

ゲーム機は買ってもらえなかった。だからいつも誰かの家に押しかけては友達が遊んでいるのを眺めているという駄目な少年時代を送っていた。中学でPCルームにメモリが1MBでHDDが30MBくらいのPC98のマシンがあって、それを比較的自由に使えるクラブに入って、LOGOというプログラミング?言語でずっと遊んだりメモリが足らなくてろくにレンダリング(というレベルの仕上がりではないが)もできない環境で3Dモデリングソフトを使っていた。先輩が遊んでいた自作のゲーム(BASICで書かれてたね)の画面を見て、コードではなく遊んでいる画面から想像して自分でそのクローンを作ってみたりもした。あとメモ帳で延々HTML書いていたねそういえば。

家ではネットはろくに使えない。1ヶ月で3時間とか。こちらも色々難癖つけられ、邪魔され、PCを壊されもした。ソフトなんて買ってもらえないし、バイトは禁止されていたし、お小遣いもろくに貰えないので極々稀に買えたベーマガ4冊だけが情報源。それでほぼ置物と化していた家のPCを触っていた。特に優秀な頭を持っているわけでもないし、情報やノウハウを手に入れられるネットワークもなかったし、今ならそれこそコードを写経して、そこから自分で色々カスタマイズして・・・なんて当たり前にやっていることを思いつくこともなかった。そういうものなんだって知る由もなく。

それからもうずーっとそういうのから離れていたけれど、結局今自分が飯食ってられるのはプログラミングだった。

なかなかに変化の激しい世界で、しかも周りのエンジニアと違ってこちらは33歳とかから真面目に取り組みはじめたわけで、そもそも追いつこうとか考えるのが正しいのかと思わなくもない。でもずーっと先を進んでいる人たちの姿を見て、それに引きずられて執着という形ででも自分を動かしていることが逆説的に心の平静になっていたりもする。

で、結局自分の動機ってなんだろうと思うと、追いつこうとかもっと色々書けるエンジニアに・・・とかではなく、奪い返す。

昔から本当は好きだったけど、またまた被害者意識全開で言えば環境というよりは他者の妨害というような要因で奪われていた機会を取り戻す。小さい頃にゲームや漫画を禁止されまくっていた子供が大人になってオタクになる・・・みたいな話がとても納得がいくというか自分もそういう要素あるし実際。

何か建設的な目標や作ってみたいものがあるわけでもなく、ただただドロドロした"奪い返す"って感情だけで動いていると、結局何も作り上げられないし何をしたらいいのかなんてさっぱりわからない。けれど、どんなに空回りや遠回りでも手は止められない。

「別に子供の頃からPCを与えてもらって自由にあれこれ作ってたやつだけが今優秀なエンジニアじゃねーだろ。今からやればいいじゃん。遅いなんてことはないだろ」みたいなお言葉はだいたいアグリー。生存者バイアスは存分にかかっているというのも知っている。

けれども、残念ながら自分は、そういうポジティブには動けない。そんなご立派な、ないしは普通の行動ができるなら今頃苦労してないから。

自分が憧憬を抱いた人たちがプラスを積み重ねている中で、奪い返そうとしているだけの自分はマイナスをゼロにしているだけである。そういう生き方をしているから、何かにつけてまた奪われるのではないかという思考が走るのは止められない。

どこかで「奪い返した」と思える日が来るのか、来ないのか。そうなったら自分は晴れやかな気分でその先に進めるのか、ようやくもっと別のことができるようになるのか。

"奪い返す"ことができるまではなんかもう色々と繋がり断ち切って存分に執着していきたいなぁとか、奪い返せなかったらその時はその時で一人朽ち果てるのでもちっとも構わないなと思わなくもない。プラスを積み重ねて、自分だけでなく世の中にもプラスを与えられるような立派な奴にはなれなくとも、せめて自分個人としてマイナスを無くした上で終わらせたい。多分一般的な人よりも、自分が何かをする場合に犠牲にするものって大きくなる傾向にあるし。人間的スペックが低すぎて、製造元にクレームつけたいぜまったく。

仕事は傍から見ると進歩してるようで仕事のお誘いが来たりとか、自転車も弱小ながら毎年レースの成績は上がっているけれど、そういう表立っているものの背後に積み重ね過ぎたドロっとしたものでいつか自分が自壊するんじゃねーかとかとっても病んでいる3連休であった。ちゃんちゃん。