funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

「圧倒的当事者意識を持て」というお言葉に感じる違和感は、人は多分何かに"なっていく"っていうのを無視してるからかも

突然「ATIだ!!」みたいな事を言われるわけですよ。

何かと思ったら、圧倒的(A)当事者(T)意識(I)だそうで。まるでTTP(徹底 的に パクれ)かって。

この言葉知らなかったんだけど、リクルートが言い出したそうじゃないか。圧倒的という形容詞の付いた当事者意識という言葉ではなく、"圧倒的当事者意識"で1つの言葉なんだろう。多分、響きがいいから。

自分みたいな社会不適合者でヘラヘラ生きてる人間からすると、たまに気持ち悪いくらいに担当してるサービスに対して熱意を注ぎ込んで仕事しまくってる社員がリクルートにはいるけれど、多分そういう人をとりあえず思い浮かべたらいいのかなとか勝手に思っている。

それはいいんだけど。

小泉首相のワンフレーズ・ポリティクスじゃないけど、こういう言葉を使いたがる人ってのは一定数いるわけで、だからリクルートもそういう人らに使わせる意図もあったりするんだろうな―とか邪推してみる。

そういうのは正直どうでもいいんだけど。

ただ例えば全体会議とかで逐一「圧倒的当事者意識持って仕事してる?」とか、ポストイットを無駄遣いするだけの社内ワークショップで「お題:圧倒的当事者意識とは?」とかやりだす風潮には正直これっぽっちもいい印象を持てない。どころか部署のミーティングで「っていうか圧倒的当事者意識って全員が持たなきゃあかんわけ?」とか発言するクソ野郎があたくしでございます。

圧倒的当事者意識であれなんであれ、持て!!っていう要求を上がするのが適切なものなのか?っていうのが個人的な意見。

それくらい業務や業界に愛情や熱意をもって接し、日々の仕事のクオリティを上げて欲しいっていうことなんだろうけど、これって逆じゃないのかな。最初はそこまで熱意や興味がなくても、アウトプットの質が低くても、それが段々と上昇していって、結果として"圧倒的当事者意識"でもなんでもいいがそういう風に表現されるような状態になるんじゃないのかな。持つためにやれ、じゃなくて、あくまでも結果の言い方。そして、「そういう結果になれ!!」って言うメッセージではなく、当人が意識してようとしてまいとそういう場所に連れて行くのが上の人間の責任じゃないかと。

っていうと責任転嫁とか主体性がないとかいい出す人っているじゃん?

でもさ、主体的に人を向かうべき先へ連れて行く側と、主体的にそれに付いて行く側っていうのでいいと思うわけ。当事者意識はそれをいずれ持ってもらえるように人を連れて行く側がいて、意識しようとしてまいと結果としてそれに付き合ってたどり着く側がいる。それが自然な流れじゃないだろうか。

だから、まず行き先を示さないといけない立場の人間が「みんな、圧倒的当事者意識ってなんだと思う?自分にとって(会社に益のある)当事者意識って言ってみ?」と聞くのは的はずれである。「圧倒的当事者意識を持って普段の業務に取り組め」っていうのは、"そういったものをいずれ持つ(かもしれないある種理想形)“ための段階も経ていない、経るために必要な諸々を提供すらしないで発している無意味な命令である。