ああそうか、これが子供を産んで育てるってことに対する男女差かと、根無し草がなんとなく考えてみた
例えばいい年をした大人が飲みの席とかで、結婚とか家庭について将来的な話をすることってあると思う。そんな場で「いやぁ、そうだよねぇ。」と反論しようがなかった話。
男が「いやぁ、やっぱ俺子供たくさんいた方がいいね。2人とか3人とか。」って言う時って、5歳児くらいがちょっと気取って3歳はちょっと不安そうな顔で自分のズボンを掴みながら、そして自分は1歳児を抱っこしてにこやかに写る家族写真を想像してるんじゃないかな。適当に書いてるけど。
そんなことを話しながら頭の中では多分、今の収入だとどんなもんで、例えば3人子供がいたらどれだけお金がいるのかな、とか考えてるんじゃないだろうか。これも適当に書いてるけど。
っていう男性に対して女性がボソッと。
「あたしそんなに無理だなぁ。だって妊娠したらほぼ1年、お酒飲めないし過激なスポーツできないし、産んだ後も年単位で自分としての活動が制限されるじゃん?無理だなぁ、そんなのを何回も繰り返すなんて。私の若い時期ってどうなるの?」
これ言われたら、上述な感じに考えていた男性陣は反論できないだろうな、と思う。
「いやいや、俺、全然育メンしちゃうし。」と言っても、多分そういうのとは違うんだろうなっていう気がする。非難するわけではなくね。
もちろん女性でも「子供は3人以上欲しい。」って言って、実際に3人子供を産んで育てている友達だっている。
これ、以前書いたこととリンクするんだけど、こういう時に男性特有の(?)楽観とかイマジネーションのベクトル、そして実際の父親と母親の変えようのない違いによるものがあったりして、難しいっちゃ難しいなと。
根無し草の独り身だけど、ちょっと真面目に(10秒くらい)育児について考えてみた - funny rain, sweet breathing
出産て年齢を重ねれば重ねるほどリスクしか増えないのは、純然たる医学的な事実。だけど今みたいな時代、色々と個人ができることや楽しめることがたくさんある時代に、若い時代を出産と子育てだけに捧げることを当然とするのは変だよね。
妻が身重で家でおとなしくしていても、男は接待だなんだ仕事だなんだで家をあけ、酒を飲む。
今でも男性であればつねに「〜さん」として自分であるけれど、女性ってやっぱり子供を産んだらこれまでの「〜さん」から「〜ちゃんのママ」になってしまうという側面がまだ残っている。自分なら嫌だな、と思うし。
そういう点で、社会って(収拾がつかなくなった時の社会語りに逃げ作戦)まだまだ良くなる可能性があるんじゃないかな。
「親なんだから」「お母さんになったんだから」で隔絶されてしまう社会ってやっぱ改善点があると思うし。一方で男性も「妻が妊娠や子育てで自由がないし、自分も・・・」とか「だって男じゃどうしようもできない点だろ、男身ごもれないし」でもない立ち振舞が、もっと誰にでも自在に、様々なバリエーションでもって可能になれたらいいよね。個人であること、妻で・夫であること・親であること、子であること・・・それぞれで人の数だけ答えがあってそれが許容される社会。
全部適当に書いているが。っていうかこういう時に新橋で呑んだくれてるリーマンのおっさんみたく「この社会が〜」とかって便利ね。そんな事語る前に、お前サンプル数1でもいいんだからやれよって話だし。
と、親であったことも夫であったこともない、ただ子供ではあった身から語ってみた。
- 作者: 重松清
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/10/04
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
- 作者: 重松清
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/02/15
- メディア: 文庫
- 購入: 17人 クリック: 198回
- この商品を含むブログ (500件) を見る