ご祝儀とやらに99%依存する結婚式をスマートと謳う非スマートさ、っていうか僕はご祝儀撲滅委員会を作りたい
最近流行りなんだかなんだかしらんが、スマ婚とかいう名前で呼ばれる体の形式。
僕の中ではそれって、挙式して・披露宴はやらず・1.5次会という名の会費制パーティー、みたいなパターンをそう呼ぶのだと思っていた。友人でそういうスタイルでやっている人間が何人もいるし、自分もそうだったりするから。会費制パーティーで、飲食代のみの価格会費としていただく。
1.5次会とかいう呼び方をする時点で、1次会→いわゆる披露宴・2次会→出会いと不倫のよく起きるあれ(おい)っていう大して歴史もないしきたりの、特に前者の存在感まだ残ってるよね。
披露宴をやらないことのメリット。
この披露宴てやつが僕は好きじゃないし、好きじゃないから自分もやらないっていう考えだから、格式高く名家の政治家やら医者一家とかその手の人達とかだと当てはまらんのだろうが(あと膿家脳な人達とか)、
- ご祝儀のやり取りがない
- まぁ確かにご祝儀で出てくる料理代賄うっていう要素はあるが
- それにしたって食べた分以上の額が普通にやりとりされるわけで
- とりあえずお金包むっていう習慣のキレイ事さが逆に気持ち悪い(個人的に)
- 引き出物代を考えても、贈りたいから/そういうしきたりだから贈るってモノの代金を受け取る側に転嫁するってなんなん?
- 職場とかコミュニティ的な括りでの招待に拘る必要が無い
- 「呼びたくないけど同じ部署の人間招待してるからあのクソ上司も呼ばないとだよなぁ・・・」がない
- 「あの人生やり直せってくらいに話がつまらなくて長いジジィに挨拶頼まないとなのか・・・」がない
- お酒のサービングをやったりするとはいえ、基本高砂でニコニコしているだけで終わる・・・以外のこともできる
- 参加する側としても、退屈な事の方が多い
- 食事は確かにそこそこの物が出てくるが、ご祝儀出した分払えば(払わなくても)もっといい物は食える
- それでも一番の楽しみが本音では祝福ではなく食事という時点でなんか披露宴に出るの申しわけなく思う
- 僕はコミュ障なので、新郎新婦はまだしもその親族とか周辺にもニコニコとおめでとう言いまくるあの時間が苦痛(おい)
・・・ああ、だんだん愚痴になってきた。
で、ですよ、本題。
ある日たまたま見かけた車内広告。スマート婚とやらを売りにしているウェディング業者の広告。
すごいよ。2本の積み上げ棒グラフがあって、まず一つがご祝儀+新郎新婦負担で350万くらい。もう一つの棒が同じ高さのご祝儀の上にチョコンと新郎新婦負担部分が乗っかってる。こちらは自己資金1万円からだってよ。ついでにご祝儀による後払いできるんだってよ。
これをスマート婚とか言っちゃってるわけですよ。
「結婚式お金かかるなぁ・・・あ、どうせご祝儀もらえるんだからその範囲内だけでできちゃえばいいんじゃないか!! 俺って頭いいぃ〜。」っていうのを個人が勝手に思ってそうやるのはいいが(この手の発想は僕にとっては馬鹿の一種だが)、業者としてそれを謳い文句にするのか・・・ってなんか呆れた。
1万円からとか書かれているようなものが、1万円で実際済むケースが本当にあると思ってるのか? 思ってたらそいつはきっと、ブラック企業に騙されて入社してしまうリスクあるぞ。「給料は20万からやる気しだい!!」で、21万以上にでもなることがあると思ってんのかってやつで。
あの手の見積もりってホント適当で、例えそれが都内トップクラスのホテルの式場であっても、「とにかく高く見積もり出してくれ」と頼んで出してもらった見積もりが全くもってそうではなかったりするわけですよ。打ち合わせ進める度に「実はここで〜円費用が。」とかしれっとね。項目によっては、特に贅沢をしたわけでもないのに実際の費用は見積もりの倍以上とか。
酷いのは、自分「あ、この要素は自分達の考えている挙式には必要ないんでカットで。」ホテル「いえ、来場客から『このホテルはこれをしてくれないのか』と言われるのが嫌なのでおとなしくお金払ってください。」っていう発言を普通にしてくるからね。
とにかく、済むわけねーじゃん1万とかそんなはした金の自己負担で。その広告主の業者はどうか知らんが、信用はしていない。契約者のいったい何割が実際に1万で済んだんだろうね。0.01%? 75%?
そして、ご祝儀。
全体コスト抑えるなら、来場者の負担こそ抑えるべきなんじゃねーの?って僕は思っている。なんでご祝儀とやらで何万円も無条件に人がお金出してくれるっていう考えを皆が持つのか?とか、それを当たり前と受け止めるのってどーなん?てね。
式の形なんてなんだっていいわけで、自分達の求める要件と自分達でどうにかできる予算ていうのを念頭に、もっと自由なスタイルでやれる世の中のほうがいいんじゃないかな。やらなきゃいけないことではなく、自分達がやりたいことをやるために、周りのお金を当てにするのが当たり前になっているって不健全だと思うわけですよ。
だいたいさ、自己負担かなり抑えられる!!とか言われても、例えば東京ディズニーリゾートで挙げたいとかなったらそんな話通用しないわけ。
「これくらいご祝儀が回収できれば、あこがれのあの会場で挙式できる!!」っていう考えよりも、「貯金がこれくらい、挙式予定日までにプラス〜万確保可能。で、結婚式当日の希望要件がAとBとC。優先順位的にはB→C→A。だからBに予算を多めにまわして、Aは簡素にする。全体のイメージとしてのダメージはないから。」
ってさ、予算と要件のすり合わせで作り上げて、自分達ができる範囲でできることの最大限をする。お祝い金だのご祝儀であとから戻ってきたらラッキーくらいでいいと思うんですわ。豪華絢爛な場所で挙げる式や披露宴が最上なわけではない。新郎新婦じゃなくて、会場しか参加者の記憶に残らねーぞ。
だから手の届かないものは手が届かないとして、選択肢に入れる思考は不要。
そうさせる業者や業界側もどうかと思うけどね。
不相応っていうのは、不細工と同義だぜこの場合。
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