思い出と時間と信仰、生きとし生けるものとそうでないものの歩み
育ての親である祖父母が旅立ったという話をした。
この中で僕は、
僕の家系ではとても強い部類だった祖母と実直で頑固な祖父は今ごろきっと、仲良く罵り合ってるんじゃないかと思ってるし実際そうだろう。
っていう一文を書いた。
在りし日の彼らの声で、彼らの口調で、彼らの表情で・・・このやり取りは鮮明に自分の中で行われている。そしてそれがとても正確であるという自信もある。
世の中にはよくわからん守護霊だかなんだかに話させたりとか、どっか暗闇にぼーっと立っていたり・・・そんな感じで亡くなった人を扱うケースが有る。これ自体はとてもバカバカしいとは思いつつも、遠くへ行ってしまった人が、まだここにいる場所があるっていうのは否定しない。
自分たちを見守ってくれているとかそういうのではなく、生前と同じようにそこにいて、生活をしている。実際いないんだけど、いたらこうしてるだろうし、そう思えるからいるって思ってもいいじゃん・・・そんな感覚。
今我々が生活をしている"ここ"にいる姿、でもそれはきっと投影で、投影元は我々の記憶。でも記憶だから好き勝手に作り出せる・・・とかばっかではないと思うんだ、こういうのって。
誰かという存在が正確に明確に記憶として頭に残り、それが再生を超えて命を持って動き始める。これは今まで出会ってきた誰も彼もに関して同じようになるわけではなく、そこはやっぱり大切な人達であったからできることで。特に、「きっと彼らは今頃〜」「ここにいたら〜ってやりとりしてるよね」みたいなものが説得力を持って人に聞かせられるようになるにはね。
マンガとかアニメとかの演出で、死んだ人が空に映って会話したり・・・みたいな演出ってあるけれど、多分そこには本当はいないんだろうと思ってる。
それこそ、そう、自分の中。
神への信仰と同じ、外に求めるものではなく自分の内に見出す類のもの。
その自分の内に見出すものの根源は、お互いが"ここ"にいた時の関係性。関係性と時間が、多分記憶を紡いでいる。
今回旅だった祖父母の年齢になった時、僕はさすがに彼らの顔を思い出すことはできないかもしれない。それでも、育ててもらった時間は忘れないと思う。その時間は、今僕がありありと祖父母の姿、やりとりなんかを"ここ"に投影できるだけの記憶を作ってくれたものだから。
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