不安をコミュニケーションのポジティブなエンジンとして使う
ドクターショッピングという言葉をご存知だろうか?
色々なお店を巡ってちょいちょい買うように、近所にかかりつけのクリニックがあるわけでもなく、次々と病院を変えていくこと。体調を崩した時に、一旦どこかのクリニックに行って診察や薬の処方をしてもらう。ちょっと時間が経ってまだ全快しない、そこでまた病院に行こうと思い立ち、最初に行ったのとは別のクリニックに初診で訪れ、診察と処方をしてもらう。
特に都市部で小さいクリニックが数多くある場所だと起こりやすいのかな。
医療者側からしたら、もちろんオススメしない。いい顔をしない行為である。そりゃそうだ。一方でなんでじゃあ人はそうしてしまうのかなっていうのは、非医療者側として思いつく店はある。
色々な要素があって、単純な話ではないのだけれど。
どこか体調がおかしくて「病院行ったほうがいいのかな?」って思った時に結構困るのが、「何科に行ったらいいのか?」っていうのだと思う。医学知識のない素人が適切に自分の身体所見をもとに診療科を決められるわけがない。あ、ちなみにブログとかテレビ番組とか健康アプリなんかで仕入れた知識は、医学知識としてはゼロだかんね。
ネットで近所のクリニックを調べたところで、「よし、ここにしよう!!」っていう判断の的確さを担保出来るだけの情報って無いと思うんだよね。近いから・・・ホームページが綺麗だから・・・建物とか中の写真が・・・みたいなので"なんとなく"選んでしまうと思う。あとは友達とか近所のおばちゃんの口コミとか。
「なんで食べログみたいに病院の口コミは無いんだ!?」ってのに関しては、まぁアメリカとかでは出つつあるんだけど日本では医師会が嫌がってるし、そもそも適切にジャッジできない人しかレビューを書けないからね。人、一人が行く病院の数や出会う医師の数なんてたかが知れてるし、愛想がいいとかあんま待たせないとか、本質とは違うところでしか判断できんと思うし。
どこが、何が本当にいいのかわからない、確信が持てないと一つのものを選ぶのって難しい。
よくわからない中でとりあえず行ってみた先で、疑問符を付けて帰ってくることになるとその時も「これでいいのか?」と思ってしまう。
診察してくれた医師はあまり重大そうな反応をしなかったけど、自身の感覚ではすごく悪い、そして良くならない。「これでよかったのか?」と思って、セカンドオピニオンではないが他の医師に診てもらいたくなる。
患者サイドからしたら"今自分の体がどんな状態なのか?"よりも"これから自分の体はどうなるのか?"っていうのが気になると思う。だから医師はあまり言ってくれないけど、そこの情報を求める。どれくらい痛みが続くのか、何日くらいで良くなっていくのか。
予後予測とその説明っていうのは医師の大きな仕事の一つである一方で、それができない医師も多いしそこをちゃんとできるようになろうと努力している医師もたくさんいる。患者から予後予測の点で説明を頼まれることをありがたいと思う事だってある。
けどだからって何でもかんでも突っ込んだり斜に構えて応対する患者ってのは最早モンスター。だいたい、体調悪くしてたら痛みとかあったって普通だし、すぐにそれが良くなるわけもなかろうて、と。
この医療者と患者の共通言語となり得るのは不安てやつなのかなと思ってみた。
医学的、生理学的なケアだけでなく不安に対するケア。不安を適切なレベルで伝達でき、不安の源泉とある程度の時間の幅をもって付き合える気持ち。こんな感じで両者の線引きがうまくいくさじ加減を、どちらのサイドも考えたらいいよねと思う。
不安なんて悪い人ならつけ込む絶好の素材だけれども、でも悪い使い方だけではないと信じたい。
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