funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

反知性主義という括り、レッテルが残念な人らを応援してしまう恐れのある件

江戸しぐさは妄想の産物、EM菌はお馬鹿な自治体が雑菌の塊を自然にぶちまけているだけ、なんでもかんでも酵素だの乳酸菌だの言い出す自然主義者だかなんだかはだったら洞穴で裸で暮らして20代で寿命を迎えろさっさと、そういう類のものではあるのだが。

まぁつまりは、当たり前に頭を働かせたらわかるものなんですわ。

何かを知ろうと自発的に動く・・・なんて言うと仰々しいが、図書館でもGoogle先生でもいいし、名前だけであればどれだけの人間が"高等教育"を受けているんだこの国はっていう環境なのだから。観察したり、考えたり、議論したり・・・そういうことは経験してるはずなんですけどね、本当は。

さて、"当たり前のこと"をせずに、残念ながら肯定する余地も情けもない事柄にハマってしまうことを"反"知性主義と言ってしまうと、"反"のつかない知性主義っていう括りも生まれてしまう。その反対として。

言葉遊びなんだけどさ。

ただ、そういう括りが望まずとも生まれてしまうのはよろしくないかなと。 お互いがお互いを相対化し、舌禍の争いな事態勃発の免罪符になりかねんから。

残念な人達を反知性主義者とラベリングして括りを与えてしまうことは、彼らにとってはベースを授けてもらったようなもの。

結果として「知性主義者(呼び名は何でもいいが、自分達を括った外部、ほんとはそんな括り無いのに)めうるせーぞ!! 俺"ら"が正しい!! 反知性主義者層を見ろ!!あいつもこいつも賛同してんだ!!」とやって良いことになってしまう。良いことになってしまうというか、そういう勘違いもしてしまう。

そんなアホな事態になる。いや、もう世の中なっているか。

というわけで、何かしらレッテルを貼って括るってあんまよろしくないと思うのよね。

池田香代子氏の諸々の発言に対し、支持だの不支持だのっていうのはないんだけど、上記ツイートを見てなんとなく思ったこと。

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