funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

別に東京で消耗なんてしやせんけれども、実際のところとして思うこと

とあるトマトブロガーをDisるわけではないですが。

同じクラスにいたら容赦なくいじめていただろうなーとは思うけれど。いや、きっとそういう環境があってああいう怨念ドリヴンな人間が生まれるのだろうなと思うけれど。

ではなく。

東京(あるいはその他都会)と地方の比較として、例えば生活費云々とか色々言われているわけですが、例えば自分のような中の下階級の人間がどこで生活するかとか考えた場合。考える点は色々とあるけれども、総合的に考えて、東京にいることを選ぶ。というか、選んでいる。

家賃高いし、狭いし、スーパーの野菜は高いし魚も肉も高いけれど。

池袋なんて日本人だろうが中国人だろうが、とにかく石を投げればDQNに当たるゴミ溜めのような街だけれども。特に西口。

なんか無駄に意識高い人間が忙しなく動いていたり、電車に詰め込まれて吐きそうになったりするけれど。

そんなマイナス要素を鑑みても、それでも、と思わせる要素はなんだろうと思ったんだけど、結局そういったネガティブな要素含め、同じくらいポジティブな要素も含めて何でもあるからなんだろうと思う。

何でもある・・・それがどういう事かというと、凄く変な言い方をすれば、"何となく気休めみたいに消費できるものがある"ということだと思う。

地元で別に繋がりもなく、地味ぃ〜に都会の大学に入ってそのまま仕事で東京にいたら、それはもしかしたらチャンスが眠っているのかもしれないし、自分の慰みにもなってくれる。

数十グラムで何万もするフィレステーキもあれば、一方で数百円でお腹を満たしてくれる丼ものもあって、一晩で何十万も六本木のラウンジで使って飲み食いもできれば、電車で出かけて小さなギャラリーでも安く見て回ったりもできる。

身の丈にあった"消費"もできれば、たまのたまにそれを超えた場所に踏み入れることもできる。

週末になると周りの誰もが集まるモールしかない、とかではなく、時間やお金を消費する選択肢が多様にある。

逆に、家と目の前のコンビニ、職場の往復だけで誰からも咎められずに生活できるしさ。

ただ日々生きるには、十分すぎる慰めというか楽しみがあって、それはかつて自分が地方で生活していた時には考えられないことだった。

希望も夢も野望もなくても、その場を満たせる。そんな瞬間を続けるだけでも人生は終わらせられる。希望や夢や野望を持ったら、それを形にするチャンス、なんとなくそれに近づいているような錯覚、どれも手に入る。

人間関係をリセットするコストも凄く低いと思う。

・・・とか言っているとなんか凄くどうしようもない場所にどうしようもない人間が集まることを推奨しているかのように聞こえるが、それでもいいんだけど。あまりなんでも力むのもやだなーっていうのと、力みたいのに力めなかったらやだなーっていうの?そういうのを強要されずともいい、っていうのが魅力かもしれない。

あとはなんだろ、パンドラの箱的なイメージなのかな。

魑魅魍魎、とにかく詰まってた方が、たった一つ残っている希望がもしかしたら自分にとって素敵なものなんじゃないかとか夢想している。

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