「俺が、全部、やった」
2018/2/23
後ろ決まってるのにやる事が続々と舞い降りてくる。
こういう時は、さっさとやる事と後ろにずらす事を決めて各所に通告。やると言ったことや、手をつけたことだけは責任持ってやる。後はやらねぇ。
仕事に必要なのは、熱意だのビジョンではなく的確なトリアージとパス回し。自分で明確に進められないら事柄は然るべき人物にさっさと投げる。共すればそれは曖昧さの除去。
意識高い会社の役員に可愛がられ、周りからは白けた目で見られて嫌われるような人物って、それでも本人にとっては勝ちなのだろうか。多分勝ちなのだろうな。
味方を背後から撃ちつつ(これは想像だけど)、俺様、で生き抜いてきたキャリアだとまぁそうなるかって感じ?「俺はこうやってきたガハハ」なマウンティングですかそうですか。
フリーランスもそうなんだけど、何でも一人でやろうとしてしまうと、身につくノウハウや精神性が「俺が、全部、やった」となる恐れがあるわけ。というか、自分はそう感じたからサラリーマンとしてチームでの開発などやってみようと思ったのだが。自分を周りと同様に状況の一単位に過ぎない状態になりたかった。
自分は一人でやっている、やってきた、みたいなのって実はあまり価値が無いよなと思う。正確にはそういう部分だけを強調して発信してアピるとかそういう行為。いや別に家にも帰らず一人で500件のカスタマーサービスこなして、更にツールを駆使して効率化してとかさ、それって単に誰も仲間がいなかっただけとかちゃいますかと。氏にしてみたら人を使うっていうのがチームっていうかまさに忠実なしもべをを求めていて、ダメならどんどん切って気にいるのに当たるまで入れ替え続ければいいってことのようだし。
卵と鶏論議になるけれど。
「俺様が一人で」が先なのか、単に仲間を作れない人間性だったのかはね。
金曜夜の人身事故で地獄絵図な都心の電車に乗りながらこれを記す。
本当なら帰って1時間くらいローラー回したかったけど、無理してやって30分てとこか。
気持ちが疲れていたので筋トレやって銭湯でお湯に浸かって寝ることにした。おやすみなさい。