funny rain, sweet breathing

知ってるか?世の中って思った通りにしかならないんだぜ?

Amazon Primeビデオから消えるとのことなので、今更だけど『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』

Amazon Primeビデオで観ることのできたオルフェンズ。
放映中にリアルタイムで追っていたけれど、せっかくなので三本ローラーのトレーニング中に見返していた。

が、ついにPrimeビデオから外されてしまうそうじゃないですかショック。

この作品、1期はとにかく高評価で(だよね?)、2期がひどすぎる、岡田麿里調子に乗ってんじゃねーじゃゴルァっていうのが大多数の評価なのかな。僕はそう思っている。全部観た上でもう一度1期を見直すと、「なんで1期のここか2期の仕込みになったのに使わねーんだよ」ってのが出てくる。それと2期はワンパターンで雑な展開が多い。主要キャラが死んでしまう回だ。更に言えば2期は「なんでそれを描写するのにそんなに尺使ってんじゃゴルァ」っていうのも思った。まぁとにかく、岡田麿里女史の評価だだ下がりですよね。まぁ監督の意向もあるんだろうけど、それを脚本に落とし込む責任のある脚本家があれじゃあねぇ・・・ってなっても仕方はないか。

結末は、あれでいい。

それこそが僕がこの作品をトータルでは評価している理由だから。

その部分が1期を活かせなかった2期の嫌いな部分でもあるけれど。

オルフェンズの2期、その終わり方に関して「まーそうだよね」というのと「なんだよこれっ!!」って意見が別れるとして、自分は前者の感想であり、それは1期において記されている。

フミタン:「いえ別に。ただ責任というものについて少し考えていただけです。どんな行為にも必ず付きまとってくるものですから」
三日月:「自分のしたことなら当然なんじゃないの?それがオルガの言う筋を通すってことでしょ?」
フミタン:「そうですね。責任は自ら取るしかない。私も・・・あなたも」
鉄血のオルフェンズ 第15話 足跡のゆくえ

ギャラルホルンの兵士をフルボッコにしまくってきた三日月、ギャラルホルンからしたらただの謀反人マクギリス・ファリドに協力していた鉄華団を率いるオルガ。に付きまとう責任があるとしたら、それは彼らの命でもって償却されるということになるだろう。

焼肉おじさんことラスタル様からしたら、鉄華団もマクギリスも自らの秩序を乱す敵なので叩き潰すのは当たり前で、三日月は最期に大義なんて無いと言ったが、ストーリーにとっては大正義なんて無い。各々が各々の正義を持つから他は敵となるのだし、最終的に残るのは所詮誰かにとってのみの正義である。ラストで世の中的にはいい方向に向かいそうっていう描写を入れたのはもしかしたら、"視聴者のため"という意図はあったのかもしれない。イオク様が潰れたのも視聴者のためかもしれないが、それが"責任"の形だろう。なにも自主的にとるものだけが責任ではない。

上で引用したフミタンと三日月のやりとり、改めて見返して「なんだ、2期の結末ってつまりはこういうことだし、1期でちゃんと言ってんじゃねーかよ。」となった部分である。なんかあまり当の2期ではそういう風な表現が無かった気がするが、実際そうじゃないのか?と強く思ったので、1期を活かせなかった、繋げられなかった2期は酷いという感想を持った。あくまでも脚本家の描き方の問題(つまりは能力の限界?)であり、このガンダムを否定するわけでは重ねていうが、無い。

ちなみに、

ジュリエッタ:「なぜだ!?なぜまだあらがう!?無駄なあがきだ。こんな無意味な戦いにどんな大義があるというのだ!」
三日月:「大義?何それ?無意味?そうだな、俺には意味なんてない。けど・・・。」
ジュリエッタ:「よせ!こいつに近づいては!(悪魔め・・・。)」
三日月:「けど今は・・・。俺にはオルガがくれた意味がある。なんにも持っていなかった俺のこの手の中に・・・こんなにも多くのものがあふれてる。そうだ、俺たちはもうたどりついてた・・・」
鉄血のオルフェンズ 第50話 彼等の居場所

この三日月のスタンスはとても好きである。

自分の場合は、自己啓発的なビジョンやらミッションやら、会社のそれやらが該当するけれど。三日月は生きるために戦場に出て戦ったが、自分は生きるため(とあと趣味を楽しむ生活を送るため)にキーボードを叩きコードを書いている(スケール小せぇ)。