「自分は悪くない」という病で何も続かないし上手くいかないし始められない、という罪
何であれ改善を考えるのであれば、問題点とその原因をシビアに正確にあぶり出し分析しなくてはいけない。まずは。
でも、「自分悪くないし」と無意識に思っていたら、この最初の段階からダメダメなわけである。「自分は悪くない」と思っているから周りが親切心や老婆心で投げ掛けている言葉も入っていかず、傍から見たら「前に言ったんだけどなぁ、聞いてなかったな」となる。自発的にやることも出来ず、周りも「こいつは話を聞く気がない」って愛想をつかし始めたらどうするんだろうね。もう終わりなんじゃないかな。そういう人間の周りにいたって自分になんも良いこと無いし付き合いきれないしで、人も離れて行く結果にしかならないし。
現状燻っていて何か次の一手を模索している時に、直ぐには芽が出なくとも小さなことでいいからやってみればいいし、それでしくることは大した問題じゃない、というのは世の摂理。意識だけ高くてスペック低そうな人が目をキラキラさせて引用したがるあれ。ほら、なんちゃらbookのCEOのなんちゃらバーグさんの"Done is better than perfect(ええからさっさとやれやボケ)“ですよ。
でも「自分は悪くない」病の人はやれない。
たとえどんなに些細で誰も気にしないようなレベルでも失敗できないから。失敗したら、自分はどんな状況でも絶対に悪くないはずなのに、悪いのが自明になってしまうとか思ってるんじゃないかと想像する。無意識のレベルでブレーキかけてさえいそう。
「とりあえずやればいいのにそれだけなのに」って思うようなことをやれない。
ついでに何かを選んだり、決めたりすることも出来ない。AとBという意見・立場があってもどちらにもつけないし、Cという意見・立場も作れない。何故ならばどちらか片方につけばどちらか片方は反対の立場、「自分は悪くない」はずなのに「あいつは自分と反対の立場についた」と思われるのが嫌だから。何かを選べば何かは手放さないといけないわけだが、「自分は悪くない」のに何かしら手放さないといけないということが受け入れられない。それは残念なことに、選ばない・決めないことで失う信用や機会に目が行っていないだけなのだが。
「自分は悪くない」と思っているから、本人が積極的に何かをやらないといけないなんて状況が許せないとかいうのもあるんじゃないかもしかして。どんな状況で、それがどんなに自分事であっても原因もその解決も他人依存。「誰々が〜してくれないから」って自分事なのにそれしか言えない。
『アルジャーノンに花束』をじゃないけど、人生なんて下りのエスカレーターを登り続けるようなもの。何もしない場合に何も変わらずいられるのではなく、ただただ下降し続ける。
降り続けることは逃れられないし、そういうものであることに責任を転嫁したところでそれはあまりにも的外れな思考というもの。降り続ける中で降り続けることは、"自分だけが悪い"。だから「自分は悪くない」なんて思ってる人間は、その逆で実際は本当に悪い。
それすら認められないなら、多分もう色々アウトだと思うわけですよ。
でも理解できない奴って、例えば周りがどんなに懇切丁寧に何度も説明したって理解できないからね。「自分は悪くない」から耳を本気で貸さないし、飲み込もうともしない。
あ、やっぱダメじゃん。
洗脳とか酒とかなんかその手の手段に堕ちてもいいから、それでも取り除くべきだと思うんだけどね。
- 作者: ダニエル・キイス,小尾芙佐
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2015/03/13
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (12件) を見る