"決める"と"選ぶ"なら、"選ぶ"を選ぶかな俺は
禅問答あるいは言葉遊びともいう。
イメージとして、決めるというのは動作が伴わないもの。その動作に対しての責任が選ぶことと比較して軽い。"ダイエットすることを決めた"って、ダイエットなんてしないのが世の常。
一方で選ぶというのは、決めるといったような意思の言語化や表明に加えて、それ自体がすでに動作の起点であるような感じ。動作の起点であると同時に、選ぶという行為はいつでも都合が悪くなればフタをすることが容易い決めるということよりも、他者・モノなどという外的な要因も強く包含される気がする。
プログラミングで、変数に何か値を突っ込んだって別にそれで何が起きるわけではないが、関数に値を突っ込むと何かしら返ってくる・・・というとちょっと乱暴でズレてはくるか。
仕事をしようと思うことと、どこどこの会社を選ぶという行為の方が己の責任も、第三者から見える説得力も強い。
そう考えると、決めるっていうことは所詮選ぶことの第1段階でしかないという見方もあるね。
決断力みたいな言葉がもてはやされ、それを身につける為の薄っぺらいライフハックが流行ったりもするが、本質的に必要なのは選びとる力ではなかろうか。A、B、Cの選択肢があって、「Bにする。」と決めることと、実際にBを選び取ったことにより発生する未来に対する良いことも悪いことも受け入れるって進んでいくっていうその後全てには大きな乖離が無くもないというか。
言葉遊びだけどね。
でも個人的には確かに「俺、〜するわー」みたいなノリよりも、言葉にしたりしなかったり、それより他に無かったり、色々ありつつも後から思い返せば「あの時あれを自分は結局のところ選んだんだ」と思える事が結局今の自分を生かしているんだよね。