funny rain, sweet breathing

知ってるか?世の中って思った通りにしかならないんだぜ?

大人顔負けな子供のなんちゃらって、実際のところただの大人劣化コピーでは

Facebookのタイムラインを眺めていたら、いつイイネしたのか覚えていないんだけど、トーキョーグラフィティだかどっかの投稿。ギャル系ファッションを纏った小学生くらいの女の子のスナップで、"大人顔負けファッション"だそうだ。

最近普通に街を歩いていてもこの手のファッションの子って見かけるので、そこまで珍しいものでもないんだけど、僕はその手の格好になんか違和感を抱いていた類の人。で、ふと「あ〜、だから自分、こういうの好きじゃないんだ。」っていうのが。

子供が、いわゆるステロタイプな子供服っていうのを着なくちゃけないっていう思想は持ち合わせていないんだけど、それでもじゃあいわゆる子供服じゃない服装っていうのが単純に大人が着ているような服を着て(しかもそれが何かしらとんがっている)、ヘアスタイルも大人みたいな感じにバッチリセットしたり色入れたりっていうのであるのならば、なんて言うかつまらないなと思う。

だから大人の劣化コピーと、言ってみたくなったのだ。

児童の服装に限らんけどね。何かをするのにおいて、年齢は関係ないとは思うんだけど、それでも年齢とか経験年数の長さに準じた自然さっていうのはあると思うんすよ。そういう自然さに従うのも、それから外すのももちろんアリなのだけれど。それでも、"外す"というのが結局は他の世代の劣化コピーという解でしか表現されない、あるいはそういった解しか提供できないクリエイティビティやイマジネーション、インテリジェンスの度合いっていうのは、正直う〜ん・・・となってしまう。ギャル系ファッションの小学生版とか、まさにそのいい例なんじゃないかと。