自分がやりたいことなんて考えなくていいし、凄いことをやり遂げた人のエピソードも半分は気にしなくていい
つい先日、かる~く面倒を見ていた(ことにしている)大学生と話をしていた時のこと。
就活を始めたくらいの時期で、公然の秘密で採用直結なインターンに参加したり、なんやかんやそれなりに活動をしているみたい。でも「狙っている企業は本当に自分が就きたい職なのか・・・」みたいなことをぼやいている。そしてお決まりの「自分のやりたいことがわからない。」だそうで。
20代前半、10年前までランドセル背負ってたようなのが悟ったように「自分のやるべきことはこれだ!!」なんて方が少数だし、気持ち悪いと思うんだけどねぇ。
就活とかの話にかぎらず、何か始めるっていうのでもいい。
事業でも、ブログでも、工作でも。
例えば身近な例では、プログラミング。色々やってみたいな−っていう人はいるんだけど、そういう人達が実際にやらない理由が難しそうっていうのと同じかそれ以上に、「でも作りたいアプリとか別に無いんだよなぁ〜」「それをやってどうなるんかなぁ」っていうのを耳にする。
〜の為に、〜をする。
大切やね。5年後のビジョンだの持つように煽られがちなくそったれの時代じゃぁ、それも仕方がないという面もあるが。
でもさ、実はそんなのってどうでもいいんだよね。
そういう側面だって生きていくことには存在している。
やりたいことを考えてからやってみるとか、何か始めてみるきっかけとか、それってそこまで重要なチェックポイントではないっていうか。
じゃあ何が大事なの?っていうと、それは始める理由じゃなく、続ける理由だ。
何かをやり始めること、どこかの会社に入ること、それ自体に重きは置かなくていい。ただ、何かそうやって自分に関わる物事を動かし始めた時に、それを動かし続ける理由だけは考え続けて答えを持っていることが大事。やりたい・やりたくないなんて後付けでしかなく、ロジカルであれ感情的であれ、続ける理由があるならばやり続けたらいいと思う。続けることに対して障害が発生した時は、それでも続けるだけの理由があるならやったらいいし、そこに時間を割くのが機会損失だったらやめたらいいじゃん、てくらいで。
プログラミングとかモノづくり、趣味でブログとか創作活動とか、「〜始めました!!」っていうのは「あ、そう」としか返せない。そのこと自体には、自分にとって有益な要素がないから。でもそれを能動的に続けている人の、理由やエネルギーの根源はとても興味がある。結果ではなく過程に注目するならば、過程における99%の価値はそれを継続している線であり始まりという点ではないのは自明だしょ。
すごーい事した人のすごーい経歴が書かれているような文章でも同じで、特にまぁニュースとかその手のになってしまうのは始まりが多いような気がするんだけど、それってだからどうでもいいのよね。華々しさで言ったら、一番最初の発見とか気づき、きっかけなんだろうけれど、本当に意味のあるのはそれが形になるまでの時間だし、それだけの自分の時間を対象に捧げるモチベーションや理由。落ちてきたリンゴに対して「あっ」って思ったそのエピソードはキャッチーなだけであり、それ自体には他者が何か得るものや学びがあるわけではない。
アイデア発想の方法とか良く本になるし、インターネッツ上の記事でもそんなの見かけるけど実際はザク以下の価値。本当に他者にとっても学びがあるとすれば、ただの石ころみたいな原石を、誰もが認める美しさになるまで磨き続けた理由。
また別の例で、弱虫ペダルが流行って、ヲタな女子達が乗りこなせもしないそれはそれは高価なスポーツバイク買って乗り始めたわけですよ。でも、きっと3年以内にはとっても状態の良い中古のロードバイクが出回りまくるのかなぁって思ってる。個人的には、乗り物であれガジェットであれ使われずに放り出されるっていうのが可哀想でそういうことをする人間は大嫌いである。そういう点では「ふ、マンガごときに影響されたお馬鹿共め・・・」と思うんだが、これまでに書いたことに準じて言えば、マンガに影響されて始めようがそこはどうでもいいのよね。
乗り続けているならば、その理由とかエピソードは拝聴したい。こういう点では、コスプレイヤーの林檎蜜紀さんて、面白いよね。すげー自転車楽しんでるのが伝わるし、そのハマり方とレベルアップの仕方とか参考になる。こんな感じに他者にとっても有益なだけの強度を持つ"継続の理由"を持って取り組んでいる人ってうのは、いわゆる本物なんだろうなと思うよ。(ボクハ、ハコガクダッタラシンカイアニデスケドネ)
jitensha-hoken.jp
えーと、何の話してたっけか。
そうそう、だからなんか始めるって、そこにあんま重きを置かなくていいし、そこであんま立ち止まらなくてもいいよ〜ってことか。
「あ〜でこ〜だから始めましたぁ」みたいなのは、一銭にもならない。それは自分が主体であっても、誰かのエピソードから学びを得ようとするにしても、だ。だけど続ける理由や居続ける理由に関してはその限りではない。
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