少年老い易く学成り難しっていう話と、老いと、それらが混ざって変わっていく話
"少年老い易く学成り難し"
僕を産み落とした奴は学の"が"の字も無いような奴だった。そんな奴の口から子供の頃に聞かされ続けたって、そんなもの心に留めておくわけがない。その言葉だって確か、テレビのしょうもないエセ教養バラエティから仕入れてきたのだったはず。
そんなバックグラウンドが無くったって、少年の頃からそんなものを念頭において日々生きるっていうのはグータラな自分としてはありえない。
そんな言葉を最近思い出したり、「そうだよなぁ」って思ったり、「それはそれとして、それでもやってみるさ」と心に決めたりした。
ま、動機の90%は「今のスキルセットだとあの案件はうん十万程度の作業しかもらえないけど、あれとこれを勉強して身につけたら2~300万は貰えるよなぁ。天才的な閃きが億に1つくらい起きたら1000万は行くよなぁ。」っていうのだけどね。
少年の頃というのは、勉強するものだということで勉強してればそれなりに評価がもらえ、進路という名のリワードが非常にわかりやすく存在している。ベストではないが、学ぶ内容も体系化され、ノウハウも蓄積されていて、高等教育くらいまでの内容だったら本当に誰にでもできるものとなっている。
一方で仕事を始めた人間にとって学ぶ内容となると、それは現場での経験や運良くその道のマスター的な人との出会い、調査して文献を漁って学びながら自分で自分のために知識を体系化していかなければいけなかったりとても面倒くさい。しかも今って大抵情報が画面の中、でも学ぶなら未だに紙とペンが最強。だからその両者の情報の移動っていうところで手数が増えてしまう。
それ(勉強)だけをやっていても許されない、というか食べていけない。「勉強しました。」だけじゃ別に誰も評価しない。
時間的にも結果的にもやりにくい。
そうじゃないイージーモードな学びなんて、所詮人生の最初期でしかできないわけで、元々の"少年老い易く学成り難し"の意味とは違うのかもしれないけれど、ヒシヒシと感じる。
で、そんなことを思いつつ、そんな事を思うのは老いの1つなのかなと思っている。
20台にしか見られない30台だからという個人的な余裕を抜きにしても、老いっていうのはしかしそこまでネガティブにはとらえていない。
岡崎京子著の『ヘルタースケルター』っていうマンガ。劇場版を沢尻エリカ主演、蜷川"スウィーツ脳全開"実花監督でやっていたけど原作の方。主人公りりこに近づく麻田という検事。彼のセリフにこんなのがある(うろ覚えだけど)。
「老いというのは変化で、それすら楽しむものだ。」
この言葉はすごく好き。老いって所詮死ぬまでに経験する様々な変化の一部を切り取ったものでしかない気がして。
話を学びに戻すと、成り難い学っていうのは、あくまでの少年時代の学び方に拘るからこそ成り難いし、時間だけが経って少年じゃなくなってしまうのかなと思う。
老い、という変化の中でどう自分の中の方法論を変えていくのか?
少なくとも今は、6時間ただひたすら単語帳の単語をブツブツ発音しながら紙に書きまくる、なんてことはできない。多分脳の機能だって変わっている。さぁそこでどうやっていきましょうか?っていうのはきっと考えるのも楽しいし、楽しんでいる気がする。
- 作者: 岡崎京子
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2003/04/08
- メディア: コミック
- 購入: 46人 クリック: 3,901回
- この商品を含むブログ (331件) を見る
ヘルタースケルター スペシャル・エディション(2枚組) [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
- 発売日: 2012/12/21
- メディア: Blu-ray
- 購入: 2人 クリック: 14回
- この商品を含むブログ (12件) を見る