funny rain, sweet breathing

知ってるか?世の中って思った通りにしかならないんだぜ?

引っ越しから海外生活や仕事まで、比べることを止めるとゼロからプラスへ進んでいくみたいな

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休日だというのに諸々の仕事がたまって一日中六本木ヒルズにいたわけだが、写真はヒルズのノースタワーだかウェストウォークにあったオブジェ。今日のヒルズは祝日だけあって仕事してそうな人間よりも、遊びに来ている人達で賑わっていたね。今年もウイスキーヒルズをやっていて、真っ昼間っから飲んだくれられたらどれだけ幸せだったろう?

話を本題に戻す。

これは成長なのか老化なのかはわからない。もしかしたら生来の面倒臭がりが進行したってだけなのかもしれないが、以前は多分感じていたストレスみたいなものや、変な拘りから来る無駄な行動にエネルギーを割くことが無くなったなと思うことがある。

それは比べるということをしなくなったこと。特に環境の変化や、これまで馴染んでいたものから他のものに移行した時にね。比べない、差分を考えたり補填しようとしない。これはこれ、それはそれ、でありのままでレリゴーな感じに物事を見る。

最近引っ越しをした時にふとこのことに気付いた。以前は引越し後やそもそもの家探しの時に、どうしても前の家と同じ設備やらなんやらっていうのを意識してしまっていた。このことだけで、家選びの選択肢を勝手に狭めていたと思う。引越し後もどうにか前の家での生活をしようっていう、なんて言うか後ろ向きなライフスタイル作りに消費していた時間も随分あった気がする。

前の家は前の家だし、そんなに「前の家は〜」って言うんならその前の家にずっといたらいいだけなのにね。

これは家そのものに限らず、場所でも言えると思う。「前は徒歩1分のとこにコンビニがあって、火曜日にお肉の安いスーパーがあって、こことそことあそこに直通で行ける路線があって・・・」みたいなことを考えてると多分ストレスしか溜まらないんじゃないかな。

話は飛んで例えば海外生活をする時。母国と滞在先の国を比較してしまうのは悲しい性なのかなんなのか。母国を離れたのだから、その違いに戸惑ったりっていうのは最初の一瞬だけで十分で、あえて母国にいた時の生活習慣やら何やらを継続しようなんて思わなけりゃいいんじゃないかなと。

これまで脊髄反射でできていたようなことを捨てて、また新しく物事を自分の髄まで染み込ませていくって、すごく楽しいことだと思うんだよね。

仕事なんかだと特にそれは楽しさだと思う。慣れていくこと、予想外のミスをすること、それを無くしていくこと・・・そういった変化はずっと同じでいたら味わえない。それは自分の仕事の内容だけじゃなく、上司やチーム、使用しているシステムetcでも言えることだと思う。

ま、さすがに人に関してはムカついたら離れることにしているけどw あまりにそこに居るのが機会損失だったらね。

そう考えると最近だとまた変わったiPhoneのサイズなんかも同じでさ。「どう?」って聞かれたら機械的に「画面大きいのいいよね、昔のには戻れない。だけどやっぱでかいよねぇ。」「だよね! ほんと何で大きくしたんだろ。」いたいな会話をするが、正直なにも思っていないし自分にはどうでもいいトピックだ。

機種を変えたのに前の機種の時のサイズ感を手に染み込ませたままずっと使い続けて不満を言うって、無駄だよね。望んで変えてみたのであっても、やむを得ず変えた場合でも。変わったのだから変わったということで、新しい感覚を作り始めたらいい。