まだ短期間だけど、自分流ブログを書き続けられているメカニズム
日記とか苦手だし、ブログもちっとも続いたことの無い自分がここ1ヶ月くらい書き続けちゃってるんだが、その根底にあるものを自己分析してみた。
大きなきっかけは、こちらで書いたこと。
iPhoneからSNS系やRSSリーダー系アプリを全て消してみた - funny rain, sweet breathing
その結果、"世界と自分の繋がり方"が健全になったというあたりだと結論づけてみた。
暇さえあればSNSのタイムラインや、2ちゃんまとめ、はてブリーダーを眺めていたのがかつての自分。
これって、拗らせると"他の誰かが無責任にバイアスをかけた文字"を経てしか世界を感じられなくなってしまう。
そんな兆候が出だしてちょっと病んでいた。
それが最も正常で当たり前な、"世界の中で呼吸して見て触れて、世界と関わる"にシフトしていった結果、なんか文章をダラダラ書けるようになった。
表現欲求じゃない。
ただ頭の中のものを出して、空にしたいという欲求。
空っぽにする、次が入るっていうプロセスを積み上げた時に、自分にも表現欲求がもっと直接的に出てくるのかもしれないが。
そしてやはり人と話したり、電車に乗っていてスマホではなく乗ってくる人や景色から得られる気付きや発想が膨大だということ。
そして、自分が意識もしていなかった動作や他者との関わりも同様に、ストーリーの宝庫過ぎるということ。
言語化するというプロセスを横着さえしなければ、本当に自分がいる世界は贅沢で、いい感じにin and outができるのだなとここ1ヶ月で実感した。