funny rain, sweet breathing

知ってるか?世の中って思った通りにしかならないんだぜ?

全てのチリが積もって山となるわけではない

Smoking mountains
スキマ時間に資格なりプログラミングなり勉強して新しいスキルを身につける・・・みたいなことをやってる人や、スポーツでも音楽でもコツコツと練習が必要な趣味を持っている人も普通にいるわけだ。

仕事や家事、育児など生活のコアとなるタスクのあくまでも合間を縫って行うような事が多いと思うが、そんな中でちゃんとものにできる人ってどんな感じだろう。

逆に個人的にダメと思われるパターンを挙げると、まずその1。

デザイナーとして雇われたけど本人的にはコーディングも身につけてデザインして書けるデザイナーになりたい、とよく口にしている子。やる気がありそうだったので自分にとっては不要となった入門書を何冊かあげて「この本のここら辺おさえときな―、そしたらこれとかあれを実作業として振れるし、結果こんなことが実践で身につけられるからね」ってまで伝えておいたんだけど、多分それから1年間ろくに手を付けていないようだ。お試しで振ったタスクの出来栄えや、製作に関する話を伝えている時の「ここはあれ使えばできるから、その方針で」「・・・?・・・あ、はい、わかりました」的な完全にあれが何かわかってない反応が定番。こういう時にこちらから出すものは、悪いがちょこっと前なタイミングで「これ、調べてこういうポイントだけ勉強しておいてー」って伝えてあること。

結局、何も身についていないわけですよ。

多分言われた直後や本を渡された直後はちょっとはインプットしたのかもしれない。あるいは月に一度くらいは本を眺めてみたりしたのかもしれない。しかし自分がフォローするにしても、とりあえずやらせてみるレベルにすらいつまでたってもなれていないので、内心見捨てている。できること増やしたいだの、結果として給料上げさせたいだの言ってても、ダイエットしたいとスタバのフラペチーノ飲みながら熱弁する奴くらいどうでもいい。月に1度本を開くのが50年くらい続いたら消化したページ数は増えるかもしれないが、それはチリ積にはならない。

わずかなチリは、ちょっと風が吹けばカッ消える。そこにチリのがある程度の集合であった痕跡すら残さない。

ダメなパターンその2。

今後のキャリアとして芸を増やしたい、何かを作るのは好きだしプログラミングをやりたいと言われた。そこで入門書や参考サイト、初学者の頃の知識のまとめ方や最低限押さえたいポイントを伝えてみた。そして、全くプログラミングとかわからないレベルから仕事で十分に戦力になりうるレベルに持っていくのであれば、最低これくらいの学習時間と量を最低1年続けろ、続けている以上はいくらでもフォローするがそれができないなら見捨てる、と伝えた。

結果、1ヶ月持たず僕は見捨てた。

学習量が提示した最低ラインに程遠いレベルに足らなすぎるし、「今日はたまには勉強しようかな―」ってノリだったし。あと、まともに入門書1冊読み切って書かれているコードを実際に打つとかをやりきらずに「この本は自分に合わない」とかグダグダ言いだしたのも問題だったね。

チリをどの程度積もらせれば山と第三者が認識するレベルになるのかと、そういうレベル、つまりただのチリが風で吹き飛ばされて消失しない程度の密度というものがどんなもんかはしつこく説明したんだけど、それすら理解しようとしなかったフシがある。忘れた頃にやるっていうのを繰り返すなんて時間の無駄。

こうやって見捨てた〜とかばっか言ってると「それお前が見捨てるの早すぎだし、説明が悪いんじゃね?」とか言い出す輩もいるのだが、それに対する回答は自分の思う逆にちゃんとチリを山にできる人のケースにある。

良いパターン、それはあれやこれやって色々あるものではないと思う。

誰にも言わず、見られようと誰も見てまいとひたすらにコツコツと積み重ねているだけだから、良いパターンて。

コツコツとっていっても何も考えずではなく、「いつまでにこれくらい」っていうのを1年後とか半年後とかいうスパンは当然として、その日1日、1時間というミクロなレベルでの目標値を決めて行うっていうのを当たり前にできている。

で、そういう事ができる人っていうのがダメなパターンの人とどう違うのかというと、自らで「どうにかしないといけない、どうにかしよう」っていう意識を持てている点。この違いだと思う。ある種強迫観念のごとく、移動中も食事中も脳の一部はそのことにリソースを割いている。自分が挙げたダメなパターン2例の対象者達は、本当にどうにかしようなんて思っていないんだよね多分。ただそうなったらいいなーってだけで。朝、目が覚めたらモデル体型になってないかなーとかそういう妄言レベル。

「どうにかしよう」と自ら思える人間は、そもそも僕ごときがガイドするだの見捨てるだのそういう関わりをする必要がない。タイミングや程度が合えばちょっと手を引っ張る、程度。

チリは、勝手に積もって山となるわけではなく、山にしようという強固な意思でもって風に吹き飛ばされないように着々と密度を上げていくものであるし、積み上げる以外に積み上げるための作業も併せて考えて行うものだって話。