funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

いとも容易く夢を実現させる方法はこんなの

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お世話になってる整体師の人と話をしていて意見が一致したことなんだけど。まぁ、その人は5次元の意識とかちょっとスピ入っちゃってる方向に行ってしまっていたのだが、そこからそういうスピ部分を除いたあたりは自分も思っていることで。

“「こうしよう」と思った瞬間に、すでにその夢/目標には到達している”

勿論、現実世界でそこに到達するための過程を具体的に落とし込んで実行していかなければいけないわけだが、それは別に別の事柄として切り分けていいと思う。で、結局人が躓くのはこの”「こうしよう」と思うこと”と"そこに至るプロセスの構築と実行"の2点にわけて考えねばならない。

不自然さの排除

「こうしよう」と思ったこと全てが実現できるわけではない。実現できることっていうのは自分の無意識レベルでの適性や趣向、雑な言い方で"本当に自分がやりたいこと"っていうのに依存してくる。傍から見たらどんなにキツそうで無理そうなことでも、それを意識せず「ま、できるっしょ」っていうレベルに持って行けている人はやり遂げる。実際のところミーハー的な興味とか、周りに流された結果としての「こういうのやってみたいなぁ、なれたらいいなぁ」っていう思考がモチベーションになっていると概ねうまくいかない、ソースは俺。

曽田正人の漫画『め組の大吾』の最終話だったかな、主人公朝比奈大吾に対して親友が「お前はもうダメだなんて決して思っていない」「そうなれるって思っているうちは常に可能性を残している」的な事を言っていたんだけど(うろ覚え)、それが近い話だと思う。

無意識のレベルでの自分の意思(整体師さん的にそれが第5次元の世界だそうで)にマッチしていることならば、きっと朝比奈大吾のような思考になるのだろう。そうでないものは、どこかで"やれなくてもいい理由"を作ってしまっている。だからできない。

割り算の思考

前に書いた。
anaaki-gratin.hateblo.jp

もっとざっくり言うと"割り算の思考"、これが"夢/目標に至るプロセスの構築と実行"に関わる需要なポイント。まぁ、仕事だろうが日常生活だろうがどんなレベルにおいてもそうなんだけどさ。

何かをやると決めた時、確定で不変なものでなくてもいいんだけど、期日を設定して「そこに至るためにはいつまでに何がどれくらいできていればいいのか?」っていうのを即座に計算できるようになる。「あれやって、これやって・・・」って細かい事柄を積み上げていくやり方は只々時間を無駄に積み上げるだけになる恐れがあるから。積み上げることに意味はない、何故ならば時間さえかければ"やったことリスト"は理論上無限に積み上げられる、が、時間は有限だ。

結局区切られた間隔内での積み上げ、区切られた中にきっちり収める、それは一定間隔を刻んでいくと考えれば自然に全ては中に収まってくる。

仕事が終わって家に帰ってきて、なんとなくスマホいじって、夕飯どうしようかな〜と考え始め、食材を調達して調理、食後はなんとなくネットとかテレビで時間を潰して気がついたら寝ようと思っていた時間を過ぎていたり、風呂入ったりしていたら過ぎてしまう・・・そんなことは無いだろうか。

わかりやすい、"積み上げ"の例だと思う。敢えて言ってしまえば、それほど褒められた過ごし方ではない。

割り算で考えるのであれば、今と寝る時間という区切りの中でやりたいこと・・・夕飯を作る(には食材調達と調理)、洗濯機回したい、読みたい本がある、習慣にしている軽い筋トレ等、これらに使える時間を今から寝るまでという区切りの割り算で決める。持ち時間をやりたいことの数で単純に割る、そしてそれぞれに必要な所要時間や費やしたい希望の時間を元に調整する。終わりを決めているのだから、どこかを伸ばせばどこかは短くなる。

これをもっと長いスパンや多くのタスクでできるようにする。

バンドをやる、と武道館でライブをやる、の違い

いとも容易く夢を実現させるには、という観点で書いている。

だからこの話は出てこざるを得ないのだが、例えば"バンドをやる"という夢を実現させるのと"大御所になって武道館でライブをやる"というので話は違ってくる。話が違ってくるというか、そもそもそれは別の夢。前者であれば、周りで音楽好きを集めて猛練習して、イベントを組んでライブハウスを予約して、お客さんを集めて・・・で実現ができる。それは"武道館で〜"というのとはまた別の話。夢を例えば人に語る時に、どうしてもこの例だったらメジャーデビューとか武道館ライブとかって話になってしまうけど、それって実は全く異なるものがごっちゃになっているはず。

例え不自然さのない夢であっても「バンドやりたいな〜」みたいな感じで進めていたら、これくらいが現実化する落とし所なんじゃないか。でも、夢はかなっているのだから良しとすればいい。自分も昔からふわふわと音楽やりたいと思っていたけれど、じゃあ有名クラブで回すDJやメジャーで活躍するロックバンドを目指す・・・というのは「そういうのいいよね〜」という幻想程度にしか思えていなく、それが実現するるために必要なタスクを行う時間を自分の人生に割り振っていなかった。だから、たまに音楽好きと集まって自主イベントやる・・・くらいで止まっているし、それはそれでやりたいことをやれているのだと思っている。

またまた自分の例で申し訳ないが、自転車はどうだろうと考えると、別にツール・ド・フランスで走りたいという"心からの"夢はない。「いいよね〜」っていうレベルだ。幻想。ただ、今年のハルヒルでなんとなくスイッチが入って、ホビーレーサーとしては強さを求めたくなった。アマチュア最強・・・とても魅力的な称号だ。そのレベルが自分にとって"自然な"夢であるのかなと思ったので、現在国内最強クラスのホビーレーサー達の情報を集め、どんな練習をしているのか、人生の何%をサドルの上で過ごしているのか・・・とういう情報を集め、自分の持ち時間の割り算に取り入れ始めている。

そしてとてもナチュラルに「そうだアマチュア最強になろう」と思えているので、既に自分はアマチュア最強だ。あとはその事象をどっかの謎の次元ではなく、この現実に落とし込めばいい。現実に落とし込んだ結果がなんなのかはまだわからないけどね。どっかのレースでのみ最強とかかもしれないし、本当にめっちゃ強くなってるかもしれない。

夢の実現て、簡単

そういうわけなので、夢は容易く実現させられる。というか容易く実現させられるもの。

たとえそれが「Googleを越える企業を作る」とかでも、その夢が”不自然”でない人にとってはそれはそうじゃない人が思うよりも容易いし、必然と思えるんじゃないだろうか。

え、努力とか運とか才能が必要だって? っていうか、そもそも夢実現のプロセスにおけるあれやこれを努力とか苦労とか思ってる時点でダメじゃね? 運は仕方がない、でも運ていうのはあくまで後々思い返すと的なデコレーションでっせ。才能に関しては”「自分にはこの才能は無い」ということを正確に認識できる才能”だけあればいいと思う。