funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

【社会不適合者は呟く】全てはタイミング、重要だからもう一度、全てはタイミング。それでも所詮はタイミング。


大根もちみたいな猫 #cat

自分のこれまでの人生を振り返っても、周りの人間を見ていても、結局のところはタイミングだけが理由の本質となるなぁという話。

僕は成功談系の本当かインターネッツ上の記事が大嫌いなんだけど、その内容もそれを鵜呑みにしてFacebookでシェアさせていただいちゃう人たちもわかってないと思っている。何かに成功した人ってのは、たとえそこまでの苦労エピソードが羅列されていたとしても、それらの点を繋いでいったところには何もない。

"こうあった時に、そうした"

ただそれだけのことの積分である。本質は。別にこれは何かがうまく行った時にのみ通じる話ではなく、失敗だって同じ。何か大きなものに理由を安易に求めたところで、あるいはすがったところで慰み以上にはならない。

何でも誰でもいいけどサクセスストーリーを紐解けば、くだらないことからクリティカルな話まで、"その時々で、そのシチュエーションに最適化された教科書通りではない決断と実行"がいくらでも潜んでいることがわかるはずだ。エイやでなりふり構わず飛び出したって、銃弾にさらされるようなもの。

わずかなほころび、緩み、風向き・・・そう例えられるものを感知したのがタイミング、その時に踏み出すことが決断。あとは勝手に後日ピソードとして脚色されたものを口にしたらいい。

自分の思う最高の"こうあった時に、そうした"を積み上げ続ける。

って書くと、空前絶後の波乱万丈なビッグウェーブの中で生きていないとそんなものはないと思われるかもしれないが、正直ただ生きてりゃそれだけでこの場におけるタイミングと規定されるものは転がっているし、多分無意識に選んだ決断と実行が今を作っている。

何か大きな転機・・・結婚とか転職とかデビューとかなんでもいいんだけど、もし「これで良かったのかなぁ。」と足を留める想いがよぎったら、「たまたまそうあったから、こうしただけだ。」くらいに思っているのがベストだと思う。そこに運命もミッションも義務もない。それがなければ、別の何かがあったし、それを評価するのは後の身勝手な時間と主観だ。

何か不幸や失態があったり外的な要因であれ状況が悪くなったって、それすら多分「たまたま、そうあっただけだ。」と思うのが思考のニュートラルさであり、いい方にも悪い方にも自分の思うように転べるようになる第一歩。「なんで自分が・・・」とかね、そういうのとは違って。

anaaki-gratin.hateblo.jp