日ごろ社会になじめてない方々、なじんでいても窮屈な方々、今日は皆さんのためのお祭りです
というMCからスタートしたライブに行ってきた。
natalie.mu
冒頭MCは、人間椅子のわぎーさん。
サマソニでは同日、イエモンが復活後のフェス参戦を果たしていたりRADIOHEADがCreepをやっていたり、サマソニは嫌いだけど行っときゃ良かったかなと5mmくらい思った日でした。
さて、社会に馴染めていない皆さま。
自覚していなくてもモヤモヤとした心の内を辿っていくと、この辺りにたどり着いてしまう皆さま。
安心してください、ただの社会不適合者です。
社会不適合者という属性をもっと具体的に言うとなんぞや・・・ってなると、そこまで自分も言語化しちゃいないが、そういう属性の人はちゃんと世の中にいるのだ。
窮屈さ・・・そこについてとりあえず今回はグダグダ書いてみようか。
何か窮屈を感じる人・・・窮屈を解消してくれるという人や言葉に付いて行かないようにしましょう。窮屈と表現される何かは、それはそれとしてただあるだけだ、あなたのそばに。だから窮屈は何もしない。
それを認知するあなたの認知の仕方によって、如何ような形にもなる。
窮屈なんてそんなもの。だからそれを言い訳にするのはとても格好が悪いし、窮屈じゃなくなることが正解の行き先とは限らない。「窮屈だから〜した。」はそこまでいい結果を生み出さない。
窮屈はただそこにあるだけだ。
そしてなぜそこにあるかといったら、それはあなたが社会不適合者だからだ。不適合な属性ついてるんだもん、そりゃ窮屈に決まっとるがな。
それでいい。
それはいけない状態でも間違った答えでもなんでもないから。正直、社会不適合者としての窮屈さよりもよっぽど花粉症の方が辛いぞ。それくらいに、例えば窮屈と団子を同列に見られるようになったらまさに社会不適合者だ。窮屈に真っ向から立ち向かったり見ないふりをするのではなく、おいしく団子を召し上がるのと同じくらいのノリで窮屈もいただいてしまえばいい。
そういうエネルギーと発想力がもしかしたら8mmくらい世界を変えるかもしれない。