funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

誰かの舞台に乗っかって得た満足感を満足と思ってしまうのが老婆心ながら気になった件。高校野球はどうでもいい

Pacific War
野球とサッカーに興味を持ったことがない人生を歩んできました。小学校の頃は野球、今はサッカーの話題になると適当にニコニコしているだけの背景として生き抜いて参りました。高校野球に関してはやれ眉毛を整えるのはどうなんとか、昔から馬鹿じゃねーのと思ってたんだけど、馬鹿だよね。

というのはさておき。

吹奏楽部が自分達の大会を蹴って、同校の野球部の甲子園の応援に行ったってニュースが最近あったが。

学生達の総意なのか、そういう圧力があったのか。
大会よりも甲子園で演奏することがベストなのかそうでないのか。
それを口にする学生達の言葉が心からの言葉なのかそうでないのか。

そこら辺は正直どうでもいいし、まぁ、本当のところなんて外野にはわからないだろう。

標題。

満足感やそうでない何かしらの感情を抱くにあたって、その舞台を選び間違えてはいかんぞよと。

最もわかりやすく確実に適切である"己の舞台"というのは、やっぱ自分がやってる事の大会とかそういったものが当てはまるんじゃないのかな。そういう舞台では勝っても負けても、自分の血肉となるものしか手に入らないから。

野球部を応援することもなんとやらっていうけれど、甲子園は野球部の舞台、でしかないんじゃないかな。例えば創業時から社員として勤めてる会社が上場した所で、一介の社員は社員でしかなく、それは創業者達の舞台にのっかっているだけ・・・それくらいのものにしか結局のところはなり得ない。

舞台の大小ではなく、それが自分の舞台であるかどうか。そこの判断を誤ってしまうことが何よりも問題じゃないんでしょーか。

ま、人って結局自分の選んだものを中身がなんであれベストと思ってしまうのはさがなんで、今更今回の選択がどうであったかというのはもう本人達にすら評価はできないと思うけどね。