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funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

五輪にまつわるデザイン絡みの話題で思った、"普通にいい"っていう感覚の魅力と限界

雑文 デザイン

ロゴのパクリ騒動の陰に隠れてしまっているが、インターネッツ上"では"物議を醸した東京オリンピックパラリンピックのボランティアスタッフ用ユニフォームについて。

うん、あれはだせーわ。

その際にTwitterかどこかでちょっと話題になったみたいなんだが、一般の方のデザインしたはっぴ型のユニフォームが一方で人気だったっぽい。確かに「あ、いいね」って思った。

で、なんでこれをいいと自分は思ったのか考えてみた。

それは多分、"普通にいい"っていう感覚が作用したのではないかなと。知らなかった何か価値を見せてくれたり、それが自分の感覚に訴えかけてどっかの国みたいに化学な大爆発が脳内で起きたりとか、そんなものじゃあない。前衛という名のコミュ障的な作品を「どやぁっ」って見せられて「お、oh...」って呆れるのとも違う。

本当に普通な尺度の中で、それは高い位置にあって、でもその高さは自分が引いてしまうほどに高くはなく親近感を感じる。その親近感ていうのは、本当に"当たり前"って感じのものだから感じるのかもしれない。当たり前、実は結構普通。そんなだから逆にパクリですら無い、オマージュですら無い、独創でもない。受け入れるか否かっていう判断が働く事なく、結果として受け入れられやすい。

話の例に出したはっぴがクオリティが低いというのではなく、多分そういう位置に佇むことのできるデザインであったから、それこそTwitterみたいなところではウケたのではないかと。"普通にいい"は、多分SNSで指示を得るのに優位な要因であるのかもしれない。

でもそれはやっぱり、きっと、"プロの作品"にはなり得ないんだろうな。

そういう作品ていうのは、我々の価値観の先を提示してくれるとかそんな感じのものって位置づけられると思う。それは"普通にいい"っていう、我々が安心して持っている定規で測れない位置に佇んでいる。だからこそ物議を醸したり、理解されなかったりする。あ、もちろん最近賑やかなとっても黒そうな某佐藤さん的な物議じゃないですわよ。

"普通にいい"っていうのは確かに、素敵なものは多いのだろうけど、そればかりが増えてそれだけしか受け入れられないっていう世の中はきっとどんどん退屈にはなっていくんだろうけれど。

ま、そんなあーだこーだ思わなくても、あのユニフォームはマジでダサいと思うけどね。

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