読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

フジロックという場に何を求めるかという話

どうもフジロッカーです。 自分でもそう言っちゃったり、周りにフジロックの話をしてたらそう言われてしまう。

それくらいにはフジロックに通っている自分からすると、今年のフジロックはRafvenとチャラン・ポ・ランタンが全てを持っていった年だと思う。

それはおいておき。

ジャンルを潰すのはマニアだっていう話とフジロックに関する話が他のブログであったんだけど、フジロックにおいてフジロッカーと呼ばれたりするような種の人達はフジロックを潰す人たちなのかそうでないのか? まぁ一概に言えるほど単純な話ではないけれど。フジロックがなんであるか?と、フジロッカー(じゃなくても)が何をフジロックに求めているかっていうところの行き着く先っていうところに1つポイントがあるわけなんですよね。

そこで出てくる話として、音楽のフェスであるのだからまずはそこで演奏される音楽の話。どうも今年は邦楽が多かったことに関して賛否両論なんだって? あまりそういう話を調べようとも知ろうともしないで行ってきたしこれからも行くけれども。それにしたって、出演者が退屈ってんなら去年のトリは自分的には「ない」だった。トリのタイミングでグリーンステージにいなくてもいいっていう状況で、おかげで自由に動けたっていうのはあったのでこれはこれでなんだけれど。

それでもあの3組だから行くのやめたっていう人は周りに何人もいたからなぁ。それなりに年数行っている人でも。

一方で、自分の話でありどれくらいそう思う人がいるのかはわからないんだけど、以前の記事でも書いた

さて、フジですが、"アーティストのステージに張り付かなくても楽しめる"境地にここ1〜2年で入ってきて、自分もフジロック初級者から中級者になったのではないかと思っております

anaaki-gratin.hateblo.jp

フジロックで聴ける音楽ではなく、その場にいるっていうことが目的で毎年行っていたりする。だからあんまり出演者に気を使っていなかったりする(おかげで後から「え、あの人出てたの!?」っていうアホをかましたりするが)。そういう視点でいると、例えばトリが誰であるかとかって、そこまで拘る要素ではないし洋楽だろうが邦楽だろうがまぁいいじゃんて。それは"場"として考えた時には本質的な論点では無い気がしている。

じゃあフジロックっていう場の価値ってなんだろうか。キャンプだの自然だのなんだのって色々とあるとはいえ、やっぱりステージの存在はでかい。そうなると今年残念だったのはオレンジコートが無くなったことだよね。フィールドオブヘブンとの音のぶつかりっていうのは確かに致命的なんだろうけど、だからってなんもない広場で焚き火するだけっていうのはなぁ・・・。ステージっていう入れ物があればいいわけじゃないけど、少なくとも大きな価値をもっていたものを取っ払って、その代替として提示されたものがあれではなぁ。

オレンジコートは、ヘブンを通り越して好きなステージだった。去年はTALCOのステージで大暴れしていたら、一昨年前に誰かのホワイトステージでダイブしていた時に隣で同じくダイブしていた青年が横にいた、とかそういう思い出もある。

まぁなんだ、とっても大事だけどでも少なくとも出演者で判断するのって多分フジロックをつまらなくするのは間違いないし、一方で出演者が誰であるかっていうことがフジロックの全てを決めるわけでもないし。

広告を非表示にする