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funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

【奇跡は起きない】ビリギャル仕掛け人の、悪質で愚かな"選択"激推しについて

知り合いの知り合いだかが作ったサービスということで、STORYS.JPっていうWebサービスのアカウントを持っていたことがある。多分今も登録されているけど、IDもPASSも覚えていない。

外資コンサル畑を歩んできたボクが起業をした理由」「世界一周をしてきたボクが気づいたもの」みたいなどうでもいい自分語りがたくさんあった気がして、正直興味が無さすぎてちゃんと覚えていないんだけど、多分そんなのばっかだったと思う。

人生談てのはね、自分で自分の人生をアップダウンある凄い人生とか思っちゃうけど、そういうアップダウンて結構誰にでもあるレベルだったりするのが普通なんだよね。それに気づかずボク語りしちゃってるのが痛々しいわけで。

せめてニトリの社長の話みたいなんが多ければね〜。

んで、去年後半あたりに流行った?偏差値が40で学年ビリのギャルが慶應大学に受かったっていう話、このサービス上で書かれたのが最初なんじゃないかな。ほんとどうでもいい内容なのでごめん、ちゃんとどころか一瞥もくれてないんだけど。あと違ったらごめん。

とにかくこの"ビリギャル"がついには映画化されるそうじゃないですか。
世の中の人は何を求めて件の本を読んだり、映画化を楽しみにしたりするのだろう?

っていう時に、この本の著者のTweetを誰かがRTしたのが目に入って、思わずファボッてしまった。もちろんこうやっていじるためである。最近カメラを持ち歩けてなくて、写真ネタがないんすよ。てへ。

どうもこの御方、"選択の問題"とやらがどうにかなれば、EM菌という名の雑菌の塊が川の水をきれいにするし健康増進にも役立つし放射性物質すら除去してくれるっていうのと同じくらい、万能ツールと思っていらっしゃるっぽい。

踊るダメ人間

踊るダメ人間

そもそも自分には、この著者の言う"選択の問題"の中身が見えてこないのだけれども。
あとなんやかんやでロジックが通っているのではなく自分の言いたいことにあれもこれも強引に結びつけている感じ?

あと5教科の試験の点数が高いことが賢いことでもないから。賢さとは、自分や弱い人を大切にすることだからね。それはまさに能力ではなくて選択の問題。

この著者に質問してしまった人が尋ねた"賢さ"がどんな背景で使われたのかわからんけど、著者坪田氏は質問者の言う賢さを"5教科の点数"とした。もしかしたらお問い合わせには試験云々ていう文があったのかもしれない。その上で5教科の点数ではなく"自分や弱い人を大切にすること"が賢さとして、それを能力ではなく???選択の問題???というジャンプを繰り出している。

何かしらを選択するとして、でも何かを選択するって能力じゃないんでしょーか?
そもそもここでは何を選択していらっしゃる?

賢さの定義についてはあれだ、それこそ人の勝手なのでどうでもいいけど押し付けんなよって感じ。能力と選択とどういう関係があるのか、きっと無いんだけど。

"自分や弱い人を大切にすること"は優しさで、賢さはそれによる自分のメリットを計算して行動に移すか否か、どれくらいのリソースを割くかなどを合理的に判断する事ではないかとゲスの極みの三十路は思っております。

お勉強もお仕事もスーパーできる人もみんな言います。「だって死ぬほどやってきたもん」って。その人を見て「うわ、この人は特別だ」、自分には無理だとして、何もしないのも選択の問題。自分にはできないと選択する人生なのか、自分にはできると選択する人生なのか、どちらか選びたい方を選べばいい。

踊るダメ人間

踊るダメ人間

あのね、"(自分から見て)特別な人"ってね、普通いますよ。例えば東大生/卒だったら85%は「こいつ馬鹿だなー」って思うレベルで、10%は「ガチで戦ったら勝てないから戦略を考えないと」で、残りの5%はどうやったって自分は追いつけない・・・という尺を体感として持っている。

どうやったって越えられない壁が立ちふさがる相手っている。
だけど別に自分がその先に"行かないといけない"なんてこともないんだよね。

下らないけどわかりやすいので東大出身を例に自分の場合を出したが、絶対に勝てない5%はもはやベンチマークとして、あるいはそいつの能力にフリーライドできたらラッキーって感じの扱いだよね。戦い方を考えたら勝てる10%にどうやって勝つか?って考えるのが一番楽しい。楽しいからそうしているだけで、別にやらなくてもいいし飽きたら「やーめたっ」って言ってもっとノホホンと生きると思う。

あ、これはもしかしたら"選択"なんすかね?でもそれなら自分の場合は能力あっての選択なんですけどね。でもその能力だって死ぬほどやっても限界があるから、コスパが悪くなったらそれ以上はやらない。

「君にもできる」なんて言って、越えなくてもいい、越えられもしない壁に挑ませることってコスト的にどーなんよ? このビリギャルに関してはとりあえず慶應に受かったぽいので、壁を越えられたということにはなるんだろうけど。上場ゴールちっくに、"壁越えゴール"っていうのならばこの著者の坪田氏にはお金が入るしやらせたくなる気持ちはわかるけど。

あとこの坪田氏は"選択"とやらを押し付けつつ、だからこそ"何もしない"と"自分にはできる"っていう単純明快ノータリンなオプションしか提示しないんでしょうかね?

「自分にはあいつみたいにはできないな諦めよう、でも他のあの分野ならいけるかも、よし、そっちにしよう」って選ばせてくれないもんですかね? 単純に「自分にはできないからやらない。」っていう選択肢だって十分にアリだし。坪田氏はどうもこの選択肢を"自由"と言いながら選ばせない立ち位置のようだが。

できるとこまでやったらいいし、出来なきゃ出来ないで別に他にも色々あるし死にやしない。そもそもやらなくていいことだって沢山ある。本来、そういうものなのにね。それを何か暑苦しくあーだこーだ言って、正直気持ち悪い。

そんでもって、本来選択っていうのは単純明快ノータリンにゼロかイチが同時に出てくるわけでもない。時には選択肢が時間差で出てくるし、全ての選択肢を自分が認識できるわけでもないし、その中から何かを選ぶっていうのはやっぱ能力なんだよね。でも別に「うおっゃ〜〜〜っ、オレは、選ぶ!!」みたいに別に選ばなくても何ら問題はないんだよね。

おとなの学びを創る―専門職の省察的実践をめざして

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