funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

持つ者の神聖視と、持たざることの免罪符

delete-all.hatenablog.com

上記サイトでは、"アダルト業界出身者"が"自分は物事を知っているスペシャルな存在である"という体で話が進んでいる。内容に関しては僕はアグリーな立場で、実際に知り合いにもそういう芸風で売りにいっちゃってる子がいる。当人は、まぁいい視点だし考えをまとめるのが上手い類の子なので、本人を知っていて持ち上げる義理もない立場からすると「こいつこういう面あってどうなん?」みたいなのを差し引いても、それなりの支持を受けるのは納得がいく。

で、そういう話ではなく。

そういう風に"言われる"当事者たちではなく、そういうことを"言う"まわりや超絶赤の他人の人達の話。

例えば、上記ブログで

アダルトな世界出身の人は、夜の世界、人生の裏街道で鋭い観察眼が養われたようなことを仰るけれども、どの世界にいても人生を知ることは出来る。むしろアダルトな世界は人間観察が超簡単。観察対象が裸になっていたり、ベロベロに酔ってたりして本性を曝け出しているのだから特別な観察眼なんていらない。苦労せずに人間の本性を垣間見られる。

って書かれていてこの前半。

当人たちが観察眼が自分達は強いと自分で思っているのが始まりなのかそうではなく、周りが「きっとそうだ、そうに違いない」と思ったことで"そういうこと"になったのか。これは卵と鶏か。

ただ僕はこれが前者のみであるとは思わない。 で、後者の話をこうして書いてるんだか書いてないんだかブログを打ち込んでいる。

例えば"普通の"生活をしている観察眼の無い人間が、素質か経験かはともかくとして例えばスナックのママが自分の話を聞いてサクッと刺さる事を言ってくれたり、他の人の話をスマートにしてくれたら、「ああ、この人はこういう職だから人を見る目があるんだ」って思うかもしれない。

「この人は〜だから〜だ。」

この言葉を発する人に、「それ、単にお前ができないだけじゃねーの?努力もしてねーし。」と言いたい時がある。たまにそう突っ込んでいる。

単純に素質なり努力なり経験をしてなくて自分ができない事柄を他の人ができた時に、そういう他者と自分の差を相手のステータスを理由に納得するという"悪癖"。それが進むと、自分とは違うステータスを神聖視し、同じような人達を括って「〜っていう世界の/経歴の人だからできること」と完全に自分から切り離してしまう。

っていうか違うことしてりゃ違うことが身につくのは当たり前だし、違うことしてても違う方法で同じことを身につけることだって当たり前だし、そもそもそうやってお前が欲して憧憬を抱いてシコシコと免罪符をプリントしてるような事柄は本当にお前に必須なものなのか?みたいなことを思うの。

誰か/特定の層を担ぎあげたりする人達の心理って、裏側にはただの怠惰とか嫉妬とかそんなもんがきっとあるんだろうし、自分達がスペシャルだと思ってしまう残念な層の当事者達の思考と共に、世の中に残念なものを吐き出してるんじゃないかね?と。

夜の経済学

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