funny rain, sweet breathing

知ってるか?世の中って思った通りにしかならないんだぜ?

オリジナリティやイマジネーションの在処は、経験と経験の狭間にある

文書でも音楽でもなんでもいいんだけど。

何であれ、完全にゼロから生まれた物ってのは生まれてこないって言い切ってはいいととりあえず思う。全ては何かからの派生で、系統樹ってのはそれこそ文明が始まった頃から延々と伸びてるもんだと設定しておく。

なので今、有効な意味を持つオリジナルっていうのはゼロから生まれたものを指すものではない、とした方が発展性があるだろう。

じゃ、何を指すのか?

最近なんとなく思ったのは、"経験と経験の狭間"。

「ああ、この作品は昔あったあれの影響受けてるな」って感じた時に、それが丸パクリでなければ次いで、「かつての〜を取り込みつつも、何ちゃら風に料理したな」「この作品て要は◯と□っしょ」とか考える。

こういう風に感じたものに対して、「だからオリジナルではない」みたいなことは言わないと思う。かと言って心からオリジナルであると言い切るのにも、もしかしたら躊躇いがあるんじゃないかな。でもそれは、その人のオリジナルであるし、イマジネーションの産物であると言っていいかと。

某リンゴ社の社長のお言葉で広まった"Connecting the dots"っていうの。ある意味で正しくて、そしてよく人が口にする解釈はしかし異なるんじゃないかって考えている。

異なる点と点を結ぶという行為よりも、その行為の結果産まれる線こそがオリジナリティなんじゃないかって。微妙に違うんだよね。AとBっていう点を結んだA-Bっていう存在を生み出すことではなく、その中の"-"が大事なんじゃないかと。これこそが経験と経験の狭間。AもBもあなたのものではないし、A-Bっていう集合体の持ち主があなたであるっていうのに意味はなく、ただただその間の線にこそ価値がある。

まぁだから、色々と経験して手持ちの点を増やそうっていうのは賛成。

でもせっかく色々な点、経験、影響・・・なんかを仕入れるのであれば、それらの間に自分はどういう線を引くのか?っていうのを主体に考えたほうが色々と生まれてくる気がする。果たしてその線はまっすぐ一片の迷いもなくまっすぐに引かれたものなのか、とんでもなくうねっているのか、あるいは太さは? それこそがオリジナリティ。

以前、知り合いの自称起業家が「医療×デザインだー」って言っていたんだけど、"医療"とか"デザイン"ていう末端だけを見ていたって、考えていたって、その間に引く線を描こうとしなければなんも生まれないと思う。あれ、医療×ITだったかな。どちらにせよ同じなんだけど。"何ちゃら×何ちゃら"って響きと見栄えのいいものに囚われると、そこにどうやって価値のある関係性を生み出せるっていうんだ?と訝しく思うわけ。