funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

女心って色んなとこに書かれてたり言われてるけど、男心は?それと愛に飢えるということ

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実際のところは考えたというか、本棚を整理していたら出てきた本の中に「ああ、そうっすねぇ、ほんと・・・」と思う文言を発見、そんなところ。

吉井和哉

かつてThe Yellow Monkeyという日本一のバンドをやっていた男。信者補正はあるかもしれんが、あれ以来このバンドを超えるバンドは日本からは出てきていないと断言できる。

吉井和哉の自伝、『失われた愛を求めて』の中で、大枚はたいてスタジオ付きの一軒家を建てました、これまで色々あったけどこれからは奥さんや子供とここでやっていこう、そう吉井が考えていた時期の話。

失われた愛を求めて―吉井和哉自伝

失われた愛を求めて―吉井和哉自伝

でも結局そういう生活に耐えられなくて、吉井は東京に戻る。東京には別の女性がいる。そんな時に、

で、またそこでね、「ツアーとかやって、ライヴでいきいきしてるのがあなたでしょ」って言って東京に連れ出してくれた女が、「またツアーなの?」って言ったんですよ。で、ギョッ!として。「結局女性はみんな一緒なんだ」って思いましたね。「縛るじゃん」って、「ツアーが始まる」っつったら文句言うじゃん、て。「俺に音楽だけやらしてくれよぅ!」と思って。うるさくない女いないかなあ、って。はははは。・・・まあ、そういう女性と出会ったって、「この女は俺を必要としてないんだ!」って言うかもしれないですけどね。最悪だあ!
(失われた愛を求めて/吉井和哉より)

前半部分が、すごくよくわかるなって思う。

ま、似たような感じで最近1週間位彼女と喧嘩しまくったというのもあるのですがw

一緒の時間はもちろん凄く楽しいし、そういう時間を作るための努力は自分は苦労と思わないけれども、そういう気持ちを担保しているのは、自在にに自分が動ける枠があるかどうか?っていうの。「自分の時間が持ちてぇっ!!」ってのが近いと思う。

付き合ってる中で、その辺の采配っていうのは結構2人の間で話題になったりはして伝えたり、「わかった」と言ってもらえてた錯覚がなきにしもあらず。ところが大戦争をしたのは、そのさじ加減に関してある程度コンセンサスが取れていると思っていたのが実はそうでもなかったっていうのが原因。

仕事も遊びももっと自在にやりたい・・・それは男心なんじゃないかなと勝手に思っている。でもそれ以外、パートナーとの時間を蔑ろにする、というのとは違う。ここはある種、男の持つ合理性なのかな。自分時間や2人時間ていうのを綺麗に切り分けて24時間の枠にススッと収めようとするし、その配分の仕方もまるで予算配分のごとくやってるような気がする。まぁこのバランスなんてほんと人それぞれだし、無視している人間だっていくらでもいるけどね。

「じゃあ独り身でいろやゴルァ」っていうのは、これ、多分別のイシューなんだよね。そういう話じゃない。争点は配分の決め方とか、配分そのものに対する感情的な意見なのだ。

引用の後半部分に関しては僕だったらうるさくない女いたらいいなぁって思うんだけど、それ、さすがにダイレクトに口には出せませんね。たまに女の子で「別に夫が家に帰ってこなくていい、お金さえ置いていってくれたら他に女がいようと」って言う子がいるけれど(そして僕はこの考えは別に否定はしない)、その逆に近いといったらいいのかな。ええ、ますます口には出せない。

そういえばこの吉井和哉の自伝中、先に引用した部分の後にこんなことが書かれていて、

これから先、いろんな女性と出会うと思うけど・・・まあ人間的な、総合的な部分を含めて、女性もバンドと同じで、ひとつしかないんですかね。
ただ、その時々でやっぱり、「あ、これは俺にとって最高の女だ!」って思っちゃうんですよね。ま、いやらしい言い方しちゃうと自己確認ですね、きっと。「わかってくれてるかなあ、人間的に魅力あるかなあ」っていう確認ですよ。
でも、そんな奴、魅力なんかないですよね。ただ愛に飢えてるわけだから。だから愛に飢えてる人が寄ってきますね。いい奥さん、いいお母さんになろうとしてる人は、そんな男、絶対好きにならないじゃないですか。でも俺は、そういう女の人がほしいんです。・・・誰も、寄ってこなくなるな、この本が出たら本当に。
(失われた愛を求めて/吉井和哉より)

自己確認、なんていうかタイミングタイミングで自分自身を投影する対象としての相手の存在。自分がそれを求める限り、向き合う相手も同じことを求めるのかもしれない。求める相手と結果的にくっつく傾向にあるというか。

吉井は「愛に飢えているから」と言っているが、じゃあ飢えてない人ってどうなんかなー?と考えて周りのカップルを見てみるがいまいちわからん。もしかしたらそっちはいわゆる普通な関係だから、わからないのかな。普通に見えてしまって。

僕の場合はどうだろう、と考えてみる。10代までの家庭環境が酷かったせいで、少なくとも親からの愛情的なものっていうのは全く受けていない。で、子供ってまず受ける愛情って親からだと思うんだけど、ここが欠けてしまうと愛情欠乏症になるのかなと。・・・自分で言うのもキモいけどねw

僕には彼女がいて、結婚とかそういう話も出ていて、なのに誰かと家庭を持ちたいという欲求と一人で朽ち果てたいという欲求が常にハーフアンドハーフ。パートナーを持つという方を選んでいるのは多分、自分の中に多分まだあるはずの善意とか可能性へのBETだと思っている。

とは言ってもこの比率は変わらないと思う、死ぬまで。愛情が欠乏しすぎて愛情を渇望することすらできなくなった、これはもう結果として自分自身の原罪なのかもね。

「そんなことないよ〜」って言ってくれる親切な人はもちろんいるけれども、ホント、そういう励ましとかフォロー、或いは手を差し伸べたりとかでどうにかなるものじゃない。

もし自分が今の彼女とこれからもずっといられるとしたらそれは、多分人間の持つ可能性の勝利という側面があるだろう(大げさ)。一人で灰になって宇宙の塵になることはいつでもできるのだから、そうじゃない可能性に賭けたわけなので。

ダメだったとしてもそれは結局もともと絶妙なバランスを保っていた天秤がちょっと傾いちゃった・・・そんな感じなのかな。

いやもう、完全に痛い奴ですなw

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