funny rain, sweet breathing

なんてったって社会不適合者物語

佐久間正英氏の半年を追い、自分の終わらせ方に悩み、結果として生き(てい)る

終わりを始めるまでが、結局、終わりの準備と終わり方に関わってくる、そんな話。
Steve Jobsも同じような事を言っていた。こっちの方が有名かな。

去年夏に音楽家である佐久間正英氏が投稿した、自身が末期がんであることを公表したブログの記事にはかなり驚いた記憶がある。

goodbye world - Masahide Sakuma

僕の場合、佐久間正英氏自身が参加していた四人囃子やPlasticsなどのバンドよりも、氏がプロデューサーとして関わってきた音楽の方が直撃した世代である。それこそGLAYやJudy and Maryは全盛期であったし、周りに今でもBOOWYが大好きな人は何人もいて話を聞く。

曲のクレジットに頻繁に出てくる"佐久間正英"という名前に「この人一体何者なんだ!?」と一々思っていた10代の頃。

話は戻り、佐久間氏のブログ記事に対して僕が驚いた理由。
一つは「まだ61歳、早いだろ・・・」というのと、いつゼロになるかはわからない自身のカウントダウンタイマーとの向き合い方。

当初の2週間近くは、さすがに落ち込みもしたし、無駄なほどにあれこれ考えもした。寝ても覚めても癌のこと、治療のこと、家族含め接する人達のこと、今後の身辺整理等に頭を煩わせた。
でもある日、それが無駄な時間の過ごし方であることに気づいた。同じ時間を過ごすなら少しでも楽しく有意義な時を送ろうと気持ちを切り替えるのにさほど時間はかからなかった。

自分の中の癌と戦うことはすでに無意味に思えた。憎き癌細胞も自分の一部に過ぎない。自分で自分の肉体に戦いを挑む様なナンセンスなことに思えたのかも知れない。

いつ死ぬかはわからない、でも確実にその死は一歩一歩近づいて来る …と思うと、実はそれは誰にでも当てはまる当たり前のことでしかない。自分の余命はそういう意味ではみんなとあまり変わりはない。そんな風にも考えた。
癌などと言う厄介な病気になってしまったが、冷静に思えば突発的病気や事故等に会うよりは、人生を振り返ったり改めて考えたり、大切な人たちの事を思ってみたり、身辺整理の時間を持てたり、感謝の心を育てられたり。案外悪くはないのかもしれない。
goodbye world - Masahide Sakuma

この後の佐久間氏のTwitterFacebookでは音楽のことだけでなく、自身の病状に関しても投稿されるようになった。徐々に体調が悪化していく中、冷静に自身の状態や残された時間、周りの人達との関係性を見通して過ごしているような、そんな何かを感じる投稿が続いている。

それらを見通せる視野っていうのは多分、プロデューサーとして佐久間正英氏が優れていた点とも繋がると思う。どちらが先にあったのかはわからないけれど。

脳腫瘍により発生した認識能力の障害に関してだって、対応・悪化・回復なんかをきっちり把握してその変化すら楽しんでいて、第三者から見たら変な悲観さを感じない。いや、悲観さすら見通して冷静な言葉に氏が落とし込んでいるおかげかもしれない。

佐久間正英氏の"終わり"との付き合い方。
氏は"闘病"ではなく"供病"だと述べている。今まで通り音楽をやることを楽しんでいる。「もうこれはここで終わり」というものもあれば「こいつは完了するのかなぁ」みたいなものも持っている。
もうやれないこと、もう会えないかもしれない人の事を思いながら、

それでも人生ってまだまだ楽しく面白い。
in between last days - Masahide Sakuma

と綴る。


なんだろう。

住んでる家を出る。
徐々に家の中の物は外へ送り出していく。
物によってはその場に残していく、残していかざるをえない。
一部の部屋のブレーカーは落とすけど、全部は落とさない。
でも段々とその家は、普段の生活の為の機能が無くなっていく。
最後に自分が去る際、本ブレーカーが落ちる時に一緒に落ちる、みたいな。
本ブレーカーを落とす時、まだコーヒーメーカーはコーヒーを温めているかもしれない。レコードプレーヤーからはマイルス・デイヴィスがまだ演奏を続けているかもしれない。それでもあるタイミングで全部止まる。

違うかな。なんとなくそんな感じではあると思うけれど。
家主が去り、片付いたことも進行しているものも全てが止まった瞬間が、すごく整然とした状態。

その場に残すものも、自分がいなくなると同時に止まってしまうものも、全てに意味とか色々付与した上で終わりを迎える準備をしている。そんな印象。

どうしてこういう風にできるのかな?佐久間氏の言葉を借りれば

自分は演奏家で、ギターをベースをその他の色々な楽器を弾く。そんな人間がもしかしたらもう二度と今までのようには演奏できない身体になる可能性もある。弾けることが当たり前に生きて来た人間にとっては何とも奇妙な感覚だけれど、悲しい気持ちや悔しい気持ちは全く湧いては来ない。今まで自分の演奏に絶対の自信を持って悔いなくやって来たと思える自負からかも知れない。いや、もしかしたら、音楽よりもずっと大切な何かに初めて向き合っているからかも知れない。
goodbye world - Masahide Sakuma

この辺りがヒントかもしれない。

僕は死ぬことそのものよりも、自分がどう終わるのかがわからないことに恐怖を感じる。Steve Jobs佐久間正英氏みたいに、誰もが迫り来る終わりを意識しながら過ごせるわけではない。終わりが突然やってくるケースも沢山あるのだから。
そうであったとしても、佐久間氏にとっての演奏のような、自分にとっての絶対的な何かっていうのを持つことが、目的ではなく、自分をうまく終わらせるための手段になるのだと思う。

「ここから去る」という"ここ"を規定するもの。
家族かもしれない、金銀財宝かもしれない、音楽かもしれない。複数あったっていい。
"ここ"への想いとか愛情(と言ってしまうと少し視野が狭まるかも)とかそういったものが、終わりとの付き合い方に大きな影響を及ぼすんじゃないかな。

佐久間氏のブログでは8月の段階で、医者からは早ければあと1〜2ヶ月、もって年内と言われている。
年を越して初詣に行った写真をアップしていたのは喜ばしいことだけれど、自宅でも点滴に切り替わったようだし、誰にも変えることのできない終わりっていうのは本当に目の前に来ているはず。

本当にその時まで、これまで通り可能な限りの音楽を生み出したりし続けて欲しい。
終わりって、そこで止まるものではなくその上を通過するものだと思うから。

最後の授業 DVD付き版 ぼくの命があるうちに

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