funny rain, sweet breathing

知ってるか?世の中って思った通りにしかならないんだぜ?

アイデアのつくり方、口だけで終わる自称起業志望が知らない2つのお約束

「アイデアはとにかく出すものだ。」

そんなことを言いながら常に突拍子のない案を得意気に口にする。あなたの周りにそんな人物はいないだろうか?その人物が「自分は起業する」というような話も一緒にしていたら危険だ。起業におけるオオカミ少年といってもいい。

こういった人物が口にするアイデアは残念ながらアイデアであることはほとんど無いし、その事実に気づかずに延々と思いつきを口にし続けて人々から忘れられていくのが目に見えている。だって、事業として走らせられるような発想は、そこからは決して生まれないから。

特に目も当てられないなと思うのは、社会起業家を気取ってしまっているケース。

別の記事にも書いたが、「社会を変えたい」と言って何の実効性もない幻想を口走り、そもそも社会的なニーズを自分の提供するソリューションとごちゃまぜにしてしまう残念な層はいる。

例えばケース・バイ・ケースだけれど、"社会問題に心を痛めて何かアクションをしようとしているボク" に、周りが(無責任に)「いいね!」と言ってもらいやすい場合、深刻な勘違いをしてしまう。本人が勘違いして自滅していくのは別にどうでもいいのだが、それに付き合わせられてしまう危険性のある周囲にとっては機会損失となりかねない。

行動力はないけれど良い事言う奴、それは実はかなり有害である。
(これに関してはまた気が向いたら書こうと思う)

意識の高い学生とブラック企業を生み出す"三方良し"の不幸


話を本題に戻そう。

最初に述べたような人物が口にするものがアイデアではないと僕が思う理由、そして今回の記事の主題、それは

『再現可能生と持続可能性』

である。
事業と成り得るアイデアの評価は最低限この2つのチェックで事が足りる。

「この案は、自分がそれを思いついたケース以外にどの程度適用可能なのか?」
「3年後、5年後にその案はまだ通用しているのか?」

思いついたことをドヤ顔で話しだす前に10秒、この2つを考えていたら冒頭のような、口だけのオオカミ少年にならずに済むのだと思う。

別に、残念な対象をスクリーニングするためにこの評価軸が存在するわけでもない。

世の中の様々な書籍や勉強会で知ることができるが、マーケティングのフレームワークとかそういったものが氾濫している。これらは確かに有用なツールではあるけれども、結局この再現可能性と持続可能性に対してきっちりと説明ができるのであればなんだっていいと思う。

だから僕は、シンプルで考えやすい、再現可能性と持続可能性という視点のみで考えることにしている。

考える技術・書く技術 (講談社現代新書 327)

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